37年(昭和12)7月7日の盧溝橋事件後、日本軍は総攻撃を開始して7月末までに北京 天津など華北一帯を占領。近衛首相が陸相杉山元に命じた不拡大は効を奏しません。近衛は蒋介石との談判策を講じ、宮崎龍介(滔天の息子)を蒋の元に派遣、が神戸で乗 船の寸前…
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