2013-05-01から1ヶ月間の記事一覧

プラザ合意

プラザ合意を実施したのはベーカー財務長官である。彼は来日し85年6月22日中曽根首相、竹下登蔵相とそれぞれ会談。中曽根は著書『天地有情』で言うように「貿易黒字削減は、このままではダメだから円安を円高にもっていかないと、いつまでも続くと考えたわ…

日米経済摩擦

レーガン大統領はソ連を悪の帝国と呼び軍備拡張戦争をしかけた。ソ連はレーガンの軍備拡張路線に引込まれ、経済がついていけず国家の崩壊につながった。しかしレーガンのこの路線は米国経済に莫大な貿易赤字と財政赤字、所謂双子の赤字を招いた。85年米国は…

バブル経済

この頃の日本経済の課題は、内需拡大と財政再建だった。膨大な国際収支の黒字を縮小するためには、輸出で得た財力を国内での投資や消費にまわし、それによって輸入も増やすことが求められたいた。そこで中曽根首相が選んだのは民活路線だった。しかも第四次…

死んだふり解散

86年前半は、この年に行われる参院選に合わせて衆院の総選挙が同日選となるかどうかが政界の最大関心事であった。安定多数に戻したい中曽根首相は、総選挙で勝てば86年10月末日で切れる自民党総裁としての任期を延ばせると読んだのである。総裁任期は二年二…

創政会結成

中曽根総裁再選目前の84年10月末、鈴木善幸、福田赳夫と公明党竹入義勝委員長、矢野絢也書記長、民社党佐々木良作委員長らが二階堂進副総裁(田中派)を担ぎ出そうとする動きが表面化した。しかし、田中角栄の強い反対と党内から野党が関与していることへの抵…

不沈空母

中曽根首相は83年1月11日訪韓して全斗煥大統領と会談、40億ドルの経済援助を約束した。こうして北東アジアの西側陣営としての足場を固めた上で訪米。18日ワシントン・ポスト社主グラハム女史の朝食会に招かれた中曽根は、「有事の際は日本列島を敵性外国…

P3C購入の裏事情

鈴木善幸首相は、官房長官宮沢喜一の補佐によりほぼ順調に政権を担当。81年3月16日行財政改革のための臨時行政調査会(第二臨調)が元経団連会長・土光敏夫を会長として発足。臨調は83年3月14日増税なき財政再建、超緊縮財政の堅持等を柱とする最終答申を次…

大平首相の死

大平首相は、与野党伯仲から脱出し安定政権を確立しようと衆院解散・総選挙に踏み切った。79年10月7日の投票結果は自民党の再びの大敗で、保守系無所属の10人を入党させて過半数+2とした。新自由クラブは−14の四議席へ転落。敗因には大平が一般消費税…

日米同盟

78年11月1日自民党初の全党員が参加する総裁選予備選挙が告示された。福田赳夫首相は大福密約に従って辞意を表明するどころか「世界は福田を求めている」と政権継続意欲を表明、大福戦争に突入する。11月6日園田直外相はこの密約を暴露、非は福田側にある…

大福密約

76年8月17日2億円を積んで保釈された田中角栄と田中派の怨念が三木武夫首相に向けられ、次期政権への目論見のある大平正芳、福田赳夫がこれに同調。19日には三木派と幹事長中曽根康弘の派を除く全派閥が「挙党体制確立協議会」(挙党協。船田中会長)をつく…