バブル経済

この頃の日本経済の課題は、内需拡大財政再建だった。膨大な国際収支の黒字を縮小するためには、輸出で得た財力を国内での投資や消費にまわし、それによって輸入も増やすことが求められたいた。そこで中曽根首相が選んだのは民活路線だった。しかも第四次全国総合開発計画(四全総)草案が発表され、それまでの地方分散策が否定され東京一極集中が是認されることになった。

これが、投資を東京都中心部に集中し土地など不動産の急騰を招いた。さらに金融が緩んでいたので割安感が出た東京以外の大都市の不動産や、東京に土地を持つ大企業の株式に波及した。国有地の放出なども投資熱を煽り逆効果となったのである。

このバブルに対して大蔵省は増収になり財政再建になるとして歓迎し放置した節がある。地価を下落させることは土地本位制のもとでは信用システムの破壊になるとして躊躇した。最初の段階で急冷しておけば、バブル崩壊に伴うダメージは最小限に留まった筈だから、それを怠った歴代内閣、特に中曽根首相の責任はあまりにも重い。

行革、民活、民営化はそれぞれにメリットもあったが、経済のバブル化の原因となったこと、鉄道の安全軽視など負の側面への配慮が足らなかったこと、などマイナス面もあわせ議論され進められるべきであった。社会福祉等の充実は増税で対処すべきもので、株や土地など国の財産の売却や行革といった小手先ですむ問題ではなかった。

バブル景気は52ヵ月続いたのち、91年から顕著になったバブル崩壊によって金融機関は厖大な不良債権を抱えて危機に陥った。その結果金融機関の貸し渋り貸し剥がしが横行し、企業の倒産やリストラによって大量の失業者が発生した。そして金融機関の隠蔽体質が解決を遅れに遅らせ、のちに「失われた20年」と言われるようになるのである。

加えて中曽根の引起したバブル経済こそ拝金主義、軽薄さ、伝統的な町並みや自然景観の消滅など日本文化の惨憺たる破壊をももたらしたことを忘れてはならない。


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