2013-01-01から1ヶ月間の記事一覧

続 東京裁判

時として軍部の強硬論に迎合した木戸幸一は、天皇を護るためにはすべてを軍の責任に帰すべきだと考えます。軍に対する憎悪は戦後日本の社会心理の一つの基調をなし確かに統帥権をかさに着た若手軍人の跳梁跋扈、それを統制できず迎合した軍指導部、召集され…

東京裁判

東京裁判は46年5月3日開廷し48年11月12日判決文が朗読され、同年12月23日東条・ 武藤・板垣・土肥原・木村・松井・広田計7名の死刑が執行されました。この裁判は最初に筋書きがあって形式的な手続きはキチンと進め、都合のよい証言だけを揃え都合の悪い証…

昭電疑獄

47年4月25日に行われた総選挙で片山哲を委員長とする社会党が第一党となったが、その議席数は144で、芦田均を総裁とする民主党、三木武夫を書記長とする国民協同党との3党連立内閣となった。そのため積極的な社会主義政策を実行できず、石炭国家管理問…

食糧危機

戦後日本の経済は総てが荒廃しきっていたが最大の問題は食糧でした。45年7月主食の配給量は一日一人二合三勺から二合一勺に削減され、副食のない食糧事情では一人あたり千カロリー弱で、飢餓ラインといわれる1,640カロリーにも達していない。原因は45年…

国内冷戦

ポツダム宣言第10項の「民主主義的傾向の復活強化に対して障礙」となっているもの とは、旧い封建時代に根をもち明治時代に強化された地主制度・雇用制度である。真 先に着手されたのは農地改革、すなわち地主制度の改革でした。幣原内閣は46年に計画したが…

引き裂かれる朝鮮

朝鮮も台湾と同じく日本の植民地支配から解放され独立を手にします。朝鮮の場合、独立を担う政治体制を誰がどのように樹立するかという難問が立ち塞がる。そこに米ソの対立が重なり、朝鮮の戦後は引き裂かれていきます。45年9月2日米英ソ中四国はさしあた…

続 国共内戦

国民党は48年3月第二回国民大会を開催。憲法に基づいた総統選挙では蒋介石が選出 され、この時から6年間中華民国の総統となることが決まります。新体制が発足しても国府軍は辛うじて軍事費を捻出できたが、兵士の給与は未払い状態が続きます。共産軍は国民…

国共内戦

45年8月28日米国の駐華大使ハーレイは延安に赴いて毛沢東を重慶に連れてきます。 この日から蒋介石と毛沢東は40日間にわたって会談を続け10月10日合意文書を公表。 合意は内戦を避ける方針を確認しあらゆる政党、会派の代表をもって政治協商会議を 開くと…

戦後初の総選挙

45年11月から12月のあいだ政党の復活または結成が行われます。特に鳩山一郎を総裁 とする自由党は綱領に憲法改正をうたい、町田忠治の日本進歩党は幣原内閣に3人の閣僚を送っていました。日本社会党も共産党を除く戦前の無産政党を糾合して成立。共産党も合…