2012-02-01から1ヶ月間の記事一覧

血盟団事件の延長上にあった五・一五事件

32年(昭和7)1月7日天皇は勅語を発します。「柳条湖事件は自衛戦争である。チチ ハル・錦州占領も皇軍の威武を中外に宣揚したものである。---」これは天皇のされ た一番の大ミスじゃないかと思います。(半藤一利著「昭和史」より)正月や祭日になると少尉・…

犬養内閣発足直後に発生した第一次上海事変

政友会総裁田中義一の急死によって、鈴木喜三郎と床次竹次郎が後継を争います。こ の二人では西園寺の眼鏡に適わないと幹事長森恪が判断し犬養毅が総裁となります。31年(相和6)12月13日若槻内閣の退陣で、犬養が組閣します。内閣書記官長(現在の官 房長官)に…

日本軍(関東軍)の陰謀で始まった満州事変

浜口雄幸の死後テロで政権交代では悪例となるとして、民政党の総裁若槻礼次郎が31 年(昭和6)4月14日再び組閣します。陸相は三月事件で失脚した宇垣から南次郎に、 外相には幣原喜重郎が、蔵相には井上準之助がそれぞれ留任となりました。父を爆殺された張学…

世界恐慌における各国の諸政策

米国のヤングが、ドイツの賠償支払い方式を、賠償総額1320億金マルクから358億金 マルクに減額し、59年間払いと決定、30年(昭和5)ハーグ会議で正式に成立しました が、おりからの世界恐慌によって支払い不能となってしまいます。31年米国大統領フーヴァーは…

自ら政党政治を抹殺した鳩山の「統帥権干犯」発言

武藤山治の「嵐に向かって窓を開けるようなもの」との猛反対にもかかわらず、浜口 内閣の蔵相井上準之助は、世界恐慌のなか30年(昭和5)1月11日14年ぶりの金解禁を 実施。同年2月20日には金解禁の是非を問う総選挙が行われ与党民政党が大勝します。しかし、…

前途多難な浜口内閣

29年(昭和4)7月2日民政党の浜口雄幸が組閣します。陸相に宇垣一成、外相に幣原 喜重郎が返り咲き、逓信大臣には小泉純一郎の祖父、又次郎が就任、久原房之助から 引継ぎを受けます。尚、民政党は27年6月憲政会と政友本党が合同して結党、三菱財 閥が後援…

続 満州某重大事件

前代未聞の天皇による宰相罷免の裏で、粛軍を強調した元老西園寺公望・内大臣牧野 伸顕・侍従長鈴木貫太郎に対する疑念や憤りが広がり、軍部は君側の奸と呼ぶように なり、二・二六事件では暗殺の対象とされました。 天皇はこの事件以来、私は内閣の上奏はた…

田中義一の命取りとなった満州某重大事件

26年(大正15)4月段祺瑞を北京から追落とした張作霖は、大元帥を称し次第に日本の 傀儡を務めることに潔しとしなくなり日本に抵抗するようになります。特に満鉄の平 行線の敷設計画は、関東軍を大いに刺激し、終に張を見限ることになりました。蒋介石の北伐…

日中関係の転機となった「済南事件」

27年(昭和2)4月20日 政友会総裁の椅子を金で買った田中義一は、枢密院の伯爵伊東 巳代治をつっついて若槻内閣を追い落とし、待望の首相の座を射止めました。 田中首相は外相を兼任し、森恪を外務政務次官に据え実質的な外相とします。陸相に は何故か宇垣で…