2011-10-01から1ヶ月間の記事一覧

日本を滅ぼした 「軍部大臣現役武官制」

明治31年6月 初の政党内閣、大隈重信を首相兼外務大臣、板垣退助を内務大臣とす る「隈板内閣」が誕生します。しかし尾崎行雄(咢堂)文相の拝金主義を批判した 「もし日本が共和国であれば----」という発言が災いし辞任に追い込まれ、さらに 大隈・板垣間の…

日本公使、朝鮮国国母『閔妃』を殺害!

今回は、角田房子著「閔妃暗殺」を引用します。 三国干渉は、朝鮮国の独立を主張した日本に多大な悪影響をおよぼす結果となります。一度日本に許可された「京仁鉄道敷設権」は取消され、アメリカに再譲渡されます。 これは日清戦争の戦費捻出に追われた日本…

日本陸軍の蛮行 「旅順虐殺事件」

明治27年11月下旬の旅順口要塞占領後、 「日本の部隊は旅順に入り、冷酷にも殆ど全市民を虐殺した。無防備で武器をもたな い住民が家々で虐殺された。無制限の殺人行為が三日間続けられた。」「大量の捕虜を得たところで、手数がかかるばかりである。第二軍…

日清戦争

前出の大江志乃夫著「日本の参謀本部」から引用します。「伊藤博文首相の政略は、軍部の主張する北京を攻略すれば清朝政権が崩壊する危険 があり、日本は講和の相手を失って泥沼の戦争に引きずりこまれる恐れがあったので 軍の絶対戦争論を抑え制限戦争論を…

戦争へ直走る、日本・清国

清国北洋大臣李鴻章は、明治12年「日本に譲歩しても日本はロシアの侵入を防ぐ力 はないのだから、むしろロシアに譲歩して日本を抑えさせた方が得策」と上奏。明治15年7月朝鮮国の引退中の「大院君」の扇動による『壬午軍乱』が勃発します。 日本公使花房義…

続 「参謀本部」

今回は、茨城大学名誉教授、大江志乃夫著「日本の参謀本部」から引用します。「参謀本部の設置の中心人物が『情報政治家』の山県であったことは、悪い伝統を持 ち込む結果となった。参謀本部が軍事情報のみならず、本来は政略に属する謀略や情 報政治にまで…

昭和陸軍暴走の引き金となった「参謀本部」の独立

明治11年12月 山県有朋は、陸軍省参謀局を廃止し新たに参謀本部を設置します。 これは自由民権運動の軍隊への影響を絶つため、軍令を政治から分離して天皇に直 属することで、天皇に絶対服従する軍隊を完成させることにありました。しかし陸軍卿を西郷従道に…

「維新の三傑」次々に他界!

「西郷隆盛に対する刺客問題といい、私学校生徒の陸軍火薬庫襲撃問題といい、西南 戦争の導火線に火をつけたのは明治政府であるというのは、大久保利通も川路利良も 認めざるを得ないであろう。」と「翔ぶが如く」第七巻にあります。大久保らの謀略で勃発し…

薩長閥の「国家の私物化」延々と

① 山県有朋の「山城屋事件」---兵部省出入の政商「山城屋和助」は兵部大輔山県有 朋を説得して兵部省の資金延べ80万円(現在の数千億円)を洋銀や生糸に投資させた が、普仏戦争で生糸の最大の輸入国フランスが負け大暴落、失敗に終る。明治5年山県 は和助を…

「江華島事件」から「日朝修好条規」へ

朝鮮国の摂政「大院君」の失脚に伴う内紛に乗じ武力によって開国させようと、明治8 年9月20日、日本海軍の軍艦「雲揚」(艦長井上良馨少佐=薩摩)の挑発により、江華島 事件が勃発します。2ヶ月後参議兼海軍卿勝海舟は辞表を提出するのであるが、これは 「…

明治7年の「台湾出兵」とは

毛利敏彦著「台湾出兵」には 「史実を虚心に直視するならば、台湾出兵とは、明治6年政変の誤算(西郷隆盛の辞表 提出・下野)に危機感を抱いた大久保利通が、西郷従道・大隈重信と組んで、台湾先住 民地域を獲得しようと強引に推進した暴挙(官製倭寇!)だった…