明治7年の「台湾出兵」とは

毛利敏彦著「台湾出兵」には
「史実を虚心に直視するならば、台湾出兵とは、明治6年政変の誤算(西郷隆盛の辞表
提出・下野)に危機感を抱いた大久保利通が、西郷従道大隈重信と組んで、台湾先住
民地域を獲得しようと強引に推進した暴挙(官製倭寇!)だった。」と記述されておりま
す。

この出兵に反対の長州閥の領袖、参議木戸孝允は抗議辞職し、井上馨は「日本国郵便
蒸気船会社」に軍需品輸送を拒否させたりします。しかし大久保は、陸軍卿山県有朋
を味方とすべく、参議にしてしまうのである。木戸の「軍人は政治に参加してはなら
ない。」という「シビリアンコントロール」の精神は、いとも簡単に葬られてしまっ
たのである。さらに、協力しなかった「郵便蒸気船」を解散させ、所有船を強制買収
して、三菱商会(岩崎弥太郎)に15年年賦で引き渡してしまいます。  

私にはこの大久保のヒステリックなやりざまに、後年の東条英機がダブって写ります。

これは、大久保による国家の私物化に他ならず、西郷や副島の外交交渉路線から武力
優先路線への大転換であり、昭和の陸軍大暴走の萌芽であったと断言せざるを得ない。

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