2012-08-01から1ヶ月間の記事一覧

中国大陸打通作戦

日本軍がビルマや太平洋の各地で崩れかかる事態になっても、依然として陸軍の主力 約100万人は中国戦線を中心とした大陸に釘づけとなります。汪兆銘政権との戦争協力、日支提携をうたいながら、実際は物資獲得の増大を主眼と し、現地日本軍は農民から食…

米軍の飛び石作戦

既に戦況の主導権は米側にあり日本軍は米軍が選んだ戦場で戦う以外に有効な方法は 持っていません。東条参謀総長や寺内寿一南方軍総司令官はルソン島に及ぶ米軍の西 進を防ぐ檄を飛ばし、米軍の次なる目標はハルマヘラ島であるとかたくなに考えます。44年(昭…

杜撰!インパール作戦

43年(昭和18)4月頃から連合軍はビルマで英軍を中心に反攻態勢に入ります。また11 月に開いた大東亜会議に陪席したチャンドラ・ボースの自由インド政府の拠点を固め インドの独立を世界に宣言しようとの政治的思惑もあり、インパール作戦構想は44年 1月7日…

トリックを使って参謀総長兼任

44年(昭和19)2月6日マーシャル諸島のクエゼリン島、ルオット島の守備隊6800 人が玉砕。次の米軍の狙いは日本海軍最大の基地トラック島であろうと予測します。 2月10日連合艦隊司令部は、一隻の空母もなく決戦を躊躇、旗艦「武蔵」以下を日本 やパラオ…

増幅する陸・海軍の相互不信

連合艦隊司令長官山本五十六のラバウル死守のためのガダルカナル航空基地を空爆する「い号作戦」のX戦は43年(昭和18)4月7日から14日まで行われ日本軍は682機 出撃。実際の戦果は駆逐艦・油槽船各一隻、輸送船二隻を撃沈、輸送船・給油艦等三 隻大破。…

激しさを増す東条独裁

東条首相は「米国民は疲弊している」「世情が厭戦気分になっている」などと常に楽 観的な捏造情報を参謀本部情報部につくらせ海軍軍令部に伝えます。ミッドウエイ大 敗をひた隠す軍令部は、やがて参謀本部情報部の情報に信を置かなくなります。天皇は独白録…

ドイツ軍も兵站に失敗 !

太平洋戦争の期間日米の兵器生産力を比較すると、航空機6万8千機に対し29万機 戦車4千両に対し2万5千両、小銃や火砲は7倍〜10倍、砲弾に至っては日本の76 00万発に対し米国は400億発にも達していました。独ソ戦に目を転じると42年〜43年にか…

ニューギニア戦線の絶望

ガダルカナル攻撃が本格的攻撃だと判った時には、米側は近傍に機械力を駆使して僅 か2〜3日で飛行場を建設して制空権を握り、日本の補給を担う輸送船は沈められる ばかりで、現地部隊は圧倒的に優勢な敵の前に孤立してしまいます。マッカーサーは 42年(昭…

マッカーサーの戦略

日米開戦時の日本のゼロ戦(三菱重工業設計)は世界中が瞠目。航続距離、速度、上昇 能力、操縦性で最も優れた戦闘機でした。42年(昭和17)6月アリューシャンの戦闘で アクタン島に不時着し操縦者が死亡、殆ど無傷のゼロ戦が米軍の手に渡ります。米国の技術者…

作戦部長と軍務局長の殴り合い

ガダルカナルの飛行場を米側がフルに使いだしてからは制空権は常に米側にあった。 42年(昭和17)11月10日頃、高速の輸送船11隻で一個師団(佐野忠義中将)と軍需品を 増援しようとしたが、着いたのは4隻でそれも砲爆撃を受け、増援を待つ部隊に補給 は届かず…

一本の滑走路をめぐる争奪戦

42年(昭和17)6月5日のミッドウエイ惨敗の前に策定された米豪遮断作戦行動である ソロモン諸島の南端の島ガダルカナルに、海軍は7月頃から飛行場建設を始めます。 日本は既にニューギニアのニューブリテン島北東端のラバウルに強固な航空基地を設 けていた…

ミッドウエイ作戦の大失敗を隠蔽する日本海軍

山本連合艦隊司令長官の、アリューシャン列島のキスカ島・アッツ島攻略により日本 が北方作戦に出たと思わせて、ミッドウエイ攻撃を行うという牽制の意味を持つ作戦 のゴーサインを大本営は42年(昭和17)5月5日発令します。しかし米国は暗号電報の解読によ…

ドゥリットル空襲そしてミッドウエイ

太平洋上の米空母ホーネットから発進した、ドゥリットル陸軍大佐率いるB25爆撃 機16機は、42年(昭和17)4月18日昼過ぎ東京上空に進入し、東京に爆弾を投下。川 崎・横浜・横須賀・名古屋・四日市・神戸などを爆撃して、東シナ海から中国の米軍 基地へ逃…

戦時下の翼賛選挙

第二次近衛内閣の時、戦時下を理由に一年延長になった衆議院議員の任期が42年(昭 和17)4月29日で満了となるため、4月30日5年ぶりに総選挙が施行されます。東条首相が陸相・内相を兼任したのは、天皇の意向に従ってハルノートに屈した場合、 クーデターや…

強制連行・従軍慰安婦

緒戦の日本軍は連戦連勝を重ね兵站線はのびにのびます。兵員と軍要員が大幅に不足し軍需品生産を支える労働力も足りない。その補充のため朝鮮に眼が向けられ42年 (昭和17)5月朝鮮での徴兵制が閣議決定され、同年12月には朝鮮全土121ヵ所に青 年特別錬成…