強制連行・従軍慰安婦

緒戦の日本軍は連戦連勝を重ね兵站線はのびにのびます。兵員と軍要員が大幅に不足し軍需品生産を支える労働力も足りない。その補充のため朝鮮に眼が向けられ42年
(昭和17)5月朝鮮での徴兵制が閣議決定され、同年12月には朝鮮全土121ヵ所に青
年特別錬成所が開設されます。

南太平洋諸島にまで進出した日本軍が大敗に大敗を重ねると、朝鮮での徴兵は、志願
兵制から国民徴用制へ、さらに学徒戦時動員制と変わります。朝鮮兵が武器を持って
集団化すれば民族解放運動に奔る怖れがあったので、朝鮮兵を日本兵のなかにバラバ
ラに組込みます。これがかえって戦力低下に結びつきました。

労働力補充は、当初は募集だったが直ぐに官斡旋の徴用に改まり、強制連行(強引な
拉致)に変ります。日韓併合当時在日朝鮮人は千名未満だったが、開戦直前には百万
人を突破し、敗戦時には236万5千人で、その過半が強制連行か騙されたかである。

連行された朝鮮人労働者は北は樺太・北海道から南は九州・沖縄まで全国各地の鉱山
や炭鉱、造船所、製鉄所、飛行場、ダム工事、鉄道工事、道路工事等の現場にばら撒
かれ、総てが危険で辛い作業ばかり、寝泊りはたこ部屋で大量のノミやシラミ、食事は麦飯。賃金は日本人の半分にも満たず、逃亡防止のため強制的に預金させられます。

朝鮮に女子挺身隊勤務令が発令。12歳以上40歳未満の女性が続々と日本に連行さ
れその数は10万とも20万とも。これらの女性の大部分が日本兵のための従軍慰安
婦にされフィリピンや南方の戦地へ送られました。重視すべきは輜重(糧食・被服・武器・弾薬等の補給)なのだが、本末転倒というべきである。

日本政府がポツダム宣言受諾を覚悟した45年8月10日在朝鮮の日本機関は、植民地支
配の所業を隠蔽するためあらゆる書類を焚滅。日帝36年朝鮮人奴隷化の実態が後世に広がる妨げとなります。

この時の第九代朝鮮総督阿部信行大将は、東京裁判A級戦犯として逮捕勾留されて
いたが、開廷直前の46年4月何故かソ連側の意向により釈放されます。

私は日本人として実に恥かしい。日本陸軍の犯した大罪をどう償っていくか判らない。
現在の日本政府は賠償済みとして、慰安婦問題に背を向けたままなのである。


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