2015-09-01から1ヶ月間の記事一覧

満州事変前夜----②

ソ連追出しに失敗した張学良は、その矛先を日本の権益と日本人に向けた。まず満鉄を自滅させるために、満鉄の平行線(打通線・奉海線)の輸送単価を安価に設定して運営させた。満鉄は30年11月以降毎日赤字続きに陥り、社員3,000人の解雇、昇給一ヵ年停止、…

満州事変前夜----①

1928年6月第二次北伐が終り支那統一が実現した後、蒋介石・国民政府の外交部長・王正延は革命外交を打出した。革命外交とは相手国を無視した支那側の一方的な通告で不平等条約の全てを廃棄し無効にするという外交政策で、日本が日露戦争で獲得した旅順・大…

張作霖爆殺事件----③

前出加藤康男氏によれば「蒋介石・国民党軍と張作霖・北方安国軍と戦っているさなかの27年7月張作霖の子息張学良は国民党に極秘入党し、国民党内の共産党分子と通じていた。爆殺された張作霖の跡を継いだ張学良は、28年9月8日それまで使用していた五色旗…

張作霖爆殺事件----②

ロシア人歴史作家ドミトリー・プロホロフによれば、「張作霖は日本の支援で満州を支配していたが、ソ連は張作霖と1924年9月『中国東北鉄道条約』を結んでいた。しかし、鉄道使用代金の未納が1,400万ルーブルに及び、ソ連は26年1月鉄道使用禁止を通達し…

張作霖爆殺事件----①

1926年12月北京に陣取る軍閥は「北方安国軍」を組織して張作霖が大元帥の地位に就いた。日本政府は27年5月〜28年4月邦人保護を口実に山東半島に出兵し蒋介石・国民党軍の北伐に武力干渉した。28年4月国民党軍は欧米の支援を得て態勢を立て直して再度北京…