2011-12-01から1ヶ月間の記事一覧

「宮中某重大事件」で晩節を汚した山県

世界情勢の変化につれて、政治は政党協賛から憲政の確立へ、経済的には政商から近 代産業へ、文化的には良き臣民から個人主義の主張へと、およそ山県有朋の想像でき ない方向へ、大日本帝国は急速に変りつつありました。そこから枢密院議長である山県は、枢…

原敬内閣は「参謀本部廃止」を目指したが---

シベリア出兵を推進したのは上原参謀総長、田中義一参謀次長の参謀本部であった。 その田中が原内閣の陸相に就任するやいなや漸次撤兵政策を打ち出し、天皇の裁可を 得て参謀本部には抜打ち的に公示します。出兵兵力の進退は、統帥権に属し政府の権限外であ…

ロシア革命に対する武力干渉「シベリア出兵」

12年(大正元)12月二個師団増設を拒否された陸相上原勇作は、辞表を天皇に直接提出 します。この政策立案の責任者、田中義一軍務局長・宇垣一成軍事課長共に陸軍省を 去り、このトリオは当分のあいだ冷や飯を食うことになりました。大正3年6月中将となった…

ロシア革命の影響

17年(大正6)のロシア三月革命は、ブルジョワジー(工場経営者)を中心とした臨時政 府を成立させたが、その性格上、なおも戦時特需を求めて戦争を継続します。「パンと平和」を求める労働者・兵士・農民らは、ソヴィエト(権力に圧迫を加える 自治的権力機関)…

必然の結果 「ロシア革命」

91年(明治24) の露仏同盟の締結をきっかけに、ロシアはフランスから延々20年にわ たって借金し、遂に05年シベリア鉄道を開通させます。これがロシアの産業革命の象 徴となります。また、侵略戦争を推進する軍備拡張には、膨大な外貨が必要となり、国民が飢餓…

ノーモア 悔いの八千度 原子核

昨日、私の好きな銘酒を送ってくれる、親友の河村和男邸を久しぶりに訪問しまし た。川柳の先生だけに、パッと簡潔に表現する癖があって、彼の話は実に面白い。その時、彼の作品集「軌跡」という小冊子を頂戴したのだが、そのなかに、 『 ノーモア 悔いの八…

敗戦国「ドイツ」の償いは---

1918年11月(大正7) ドイツ臨時政府代表が休戦条約に調印した直後、仏軍は、両国 1000年にわたる係争地、アルザス・ロレーヌを占領して分捕ってしまいます。 同地は1870年(明治3) ビスマルクが仕掛けた普仏戦争で獲得した、50億フランの賠 償金と豊富な石炭…

「ヴィルヘルム二世」 の大戦への軌跡

ドイツでは1888年(明治21)弱冠27歳の青年皇帝ヴィルヘルム二世が即位します。 90年「社会主義者鎮圧法」廃止の皇帝は、内治優先から存続を主張するビスマルクを 辞任に追い込んで、対外侵略を推進します。 それはバルカンを通ってアジア・アフリカへという発…

天下の非難を浴びた愚行「対華二十一カ条要求」

第一次大戦で欧州列強は極東を顧みる暇がなくなった機会を捉え、陸軍は対支政策 として次の要求を大隈重信内閣に提出します。第一は遼東半島の租借期限の延長や独の山東省権益の継承などであるが、最後の二 項は「七、軍事の改善、武器の製造は日本の指導を…