敗戦国「ドイツ」の償いは---
1918年11月(大正7) ドイツ臨時政府代表が休戦条約に調印した直後、仏軍は、両国
1000年にわたる係争地、アルザス・ロレーヌを占領して分捕ってしまいます。
同地は1870年(明治3) ビスマルクが仕掛けた普仏戦争で獲得した、50億フランの賠
償金と豊富な石炭と鉄鉱石を背景にドイツ重化学工業を発展させた地域なのである。
仏軍占領の翌19年6月28日 ヴェルサイユ条約が締結されます。まず、ドイツ陸軍は 10万人に制限され、空軍や潜水艦は全面禁止で、軍事的には三流国となります。
更に、ザールやルールを含むラインラントが非武装と規定され、特に石炭と鉄の産
地であるザール地方は15年間国際連盟が管理することになりました。
ドイツのもつ海外植民地は、戦勝国に国際連盟の委任統治形式で分配されました。
賠償金は、当面21年までに200億金マルクの支払いとし、21年のロンドン会議で総額
1,320億金マルクと正式に決定しました。
23年1月ドイツの賠償支払い遅延を理由に仏・ベルギー軍がドイツ工業の心臓部で
ドイツ財閥クルップの生産拠点であるルール地方を占領します。
独政府は、同地方の官吏・鉄道員にストライキやサボタージュを指令します。この
生産停止による抵抗で、独国内の経済は大混乱に陥ります。それでも独政府は年金
等支払いのため紙幣をどんどん増発しマルクは一兆分の一に下落してしまうのです。
23年8月 エーベルト大統領に組閣を命じられたシュトレーゼマンは、国土を担保と
した新しい通貨「レンテンマルク」を発行し、このハイパーインフレが嘘のように
終息するのです。
世界大戦が勃発した14年(大正3) には、日本は日露戦争以来累積した二十億円の債
務を返すあてもなく喘いでいたが、戦後の20年には二十七億七千万円の債権国にな
っていました。この平和のありがたみを日本陸軍は全く顧みず,軍拡にますます邁
進するのである。