2013-08-01から1ヶ月間の記事一覧

瑕疵担保特約

99年再生した長銀は民間に売却されることになった。金融再生法により任命された柳沢伯夫金融大臣は政府の代理人として、米国の大手証券ゴールドマン・サックスを指名。何故代理人を置いたのか、一切説明されていない。財務長官だったルービンやサマーズなど…

長銀破綻

98年6月経営悪化が伝えられていた日本長期信用銀行の株価が3週間で3分の1近くの200円に急落し、金融不安が進展した。長銀は預金を集める普通銀行ではなく、無記名式のワリチョーやリッチョーと愛称された金融債で資金を集めて運用する長期信用銀行で…

自自公連立

97年4月消費税が5%に、医療費の本人負担が2割にそれぞれ引上げられた。当時はこの緊縮財政によって、これほど景気を悪化させることを十分認識していなかった。11月には三洋証券・北海道拓殖銀行・山一證券が破綻を発表し大きな衝撃を与えた。橋本政権は…

公的資金注入

97年11月17日都銀の一角を占めていた北海道拓殖銀行が破綻を公表した。一週間後の24日朝には四大証券の一つ山一證券が破綻する。それも大蔵省証券局長・長野厖士が自主廃業を発表するという異例の事態だった。これで金融不安が一気に広がった。破綻の原因と…

日産生命の破綻

97年4月日産生命が破綻した。破綻の原因は超低金利である。保険料の運用利回りの見込みを予定利率というが、バブル時代の予定利率は5%から6%で契約されている。それを上回る利率で運用できなければ逆ザヤになる。前代未聞の超低金利で逆ザヤが長期間続…

金融ビッグバン

金融ビッグバンとは証券・金融市場の護送船団方式を廃止して、規制緩和、自由化、競争化を図ることである。86年英国で断行された金融大改革にならって名づけられ、96年11月橋本首相が打出し、97年6月に証券取引審議会、金融制度調査会、保険審議会が取り纏…

橋本緊縮財政

98年2月国会の予算委員会で公明党の坂口力は、橋本首相に質問した。「憲法上は予算作成は内閣の仕事とされているのに、大蔵省設置法には大蔵省の権限と書いてあり、加えて立法府や司法府の予算も大蔵省が査定しているのは大問題である」--と、だがこの指摘…

橋本郵政改革

95年9月の自民党総裁選で、小泉純一郎は橋本龍太郎と戦って87票対304票で敗れたが、総裁選における小泉の主張は郵政民営化の一本槍で、郵政民営化といえば小泉というイメージが定着していたが、最初に取組んだのは橋本首相である。財政投融資事業を行…

橋本行革

橋本政権は行政改革に着手し96年11月行政改革会議を立ち上げた。その目的の一つは官僚支配から脱却し、政治主導で政策を実現していくことにあった。しかし、その出発点から間違った。そのビジョン策定の場として官僚が便利に使ってきた「審議会方式」を選択…

大蔵省と日本マスコミの正体

96年11月7日橋本改造内閣がスタートした直後、厚生省事務次官岡光序治が特別養護老人ホームの補助金交付に便宜を図った見返りに利益供与を受けたとされ、大きな社会問題となった。その岡光に退職金を払おうとしたのが、厚相小泉純一郎である。「官僚が辞職…

新進党の挫折

橋本首相は96年9月に衆議院を解散し、10月20日に小選挙区・比例代表並立制の下での最初の総選挙を行った。所得税減税の財源を確保するために消費税を3%から5%に引上げる税制改革を訴えて、239議席を獲得し第一党の座を確保した。新進党は156、民…