橋本郵政改革

95年9月の自民党総裁選で、小泉純一郎橋本龍太郎と戦って87票対304票で敗れたが、総裁選における小泉の主張は郵政民営化の一本槍で、郵政民営化といえば小泉というイメージが定着していたが、最初に取組んだのは橋本首相である。

財政投融資事業を行う公庫・公団などの特殊法人は、官僚の天下り機関と化していて本来の役割を見失い、存続すること自体が目的となっていた。既に役割が終わっても決して解散しない。無駄と不公正がまかり通っていた。橋本は「財投の非効率は国民の共通認識となっており、その資金源を断てば効率化されるはず、そのためには郵便局の民営化」という非論理的な主張を繰り広げた。

97年8月行政改革会議の中間報告が出されると、どの新聞も「簡保民営化、郵便は国営、郵貯は民営化準備」をとりあげ、「郵政解体」「民営化」はいつのまにか行革の象徴になっていたが、民営化に否定的な意見が多く国民の気運は盛り上らず、過疎の市町村だけでなく、45の都道府県議会が反対決議を行った。

同年12月の最終報告では郵政解体・民営化は撤回され、郵貯簡保・郵便の三事業は一体のまま公社化されることになったが、郵貯が財投の資金として流れるルートは断ち切られた。郵貯郵政公社が自主運用することになり、特殊法人はそれぞれ必要な資金は債券発行によって賄うとされ、大蔵省は債券を発行できない特殊法人のために「財投債」という新たな国債を発行することに決まったのである。

もともと財投の資金源となっていた郵貯も、年金の積立金も大蔵省の理財局が所管する資金運用部という勘定に預託されて、そこから各特殊法人に割振られていた。その大蔵省が財投改革の名の下に、財投債発行という新たな権限を手にいれたのである。

つまり、財投資金をばらまき、そのムダ遣いを見逃したのは郵政省ではない。大蔵省なのである。財投非効率の原因を明らかにし、その責任を糾明するという重要な手順を省略し、すべてを資金源のせいにしたために、橋本郵政改革は責任を負うべき真犯人を隠蔽してしまったのである。


レース結果共鳴チェック