橋本緊縮財政

98年2月国会の予算委員会公明党坂口力は、橋本首相に質問した。「憲法上は予算作成は内閣の仕事とされているのに、大蔵省設置法には大蔵省の権限と書いてあり、加えて立法府や司法府の予算も大蔵省が査定しているのは大問題である」--と、だがこの指摘は橋本行革においても、その後に至っても真剣に討議されることはなかった。

省庁再編で財務省設置法に代わると、坂口が指摘した「権限を有する」の文字は法文から消えた。文字は消えたが状況は全く変わっていない。官僚支配がここまで深く食い込んで、もはやどうにもできない程にがんじがらめになっているのである。

橋本行革の最大の失敗は財政構造改革である。名は構造改革だが、実は単なる緊縮財政、歳出の削減だった。橋本政権は虚偽の情報が提供されているとは思いもせず、消費税増税で5兆円、特別減税廃止で2兆円、医療保険のサラリーマンの自己負担が1割から2割にアップ。2兆円の社会保障費を国民負担に転化したのである。公共事業費の4兆円削減と合わせれば、実に13兆円のマイナス景気対策が打たれた。

不況のさなかに、大きな不況政策を断行したのだから、経済は逆回転を始め本格的なデフレ経済に突入していく。物価下落、経済縮小の悪循環に入ったのである。米国はじめ、IMFOECDなど国際機関からも「まだその時期ではない」という警告さえも無視してしまったのである。橋本は翌98年以降の3年間は集中的に緊縮政策をとり、大幅な経費削減を目指すとしたのである。

日本の財政赤字が巨額であることは国民的常識である。しかし、債務残高と財政赤字は同じではない。債務がどんなに大きくてもそれを上回る資産があれば問題ではないからである。だが大蔵省は国の資産については全く言及していない。毎年財政赤字が続いていても日本は経常黒字国、つまり国全体では毎年黒字なのである。国の財布は一つではないことを認識すべきである。

企業倒産は過去最高レベルに達し、国民生活も急速に悪化した。バブルに踊ったわけでもなく、政策の失敗さえなければ生き残れるはずの企業が次々破綻したのである。94年にはじめて3%を超えた失業率は増加を続け、98年には4%を超えた。98年一年間の自殺者がはじめて3万人を超えた。うち4分の1が生活苦など経済問題が原因である。


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