2013-07-01から1ヶ月間の記事一覧

社会党の衰退

戦後50年の95年は、1月17日の阪神・淡路大震災、3月20日のオウム真理教による地下鉄サリン事件など大事件が相次いだ。7月の参院選挙では投票率が44.5%と史上最低を記録し、比例区では新進党が第一党となり社会党は大敗した。自社さの与党三党は過…

村山談話  

95年はポツダム宣言受諾から50年目にあたっていた。村山首相は国会での「戦後50年決議」を画策するが不発に終った。決議の文案は自民党との綱引きで社会党が満足できる内容にならなかった。しかも野党・新進党と与党の一部の欠席、共産党の反対で、衆…

阪神・淡路大震災  

95年1月17日神戸市を中心とする兵庫県南部地方でマグニチュード7・2の大地震が発生、6,500人もの尊い人命が失われ、負傷者は4万4千人、被害総額は9兆6千億円を越えた。着々と準備を整えて、今か今かと出動要請を待ちわびた自衛隊に、県防災担当の…

村山「自社さ」政権  

北朝鮮から能登半島北方にノドンが撃ち込まれ、カーター調停でこと無きを得た93〜94年、羽田首相が「日本の首相が金日成と膝詰めで談判すれば問題は解決する」という意味の能天気な発言をして世間の失笑を買った。北朝鮮は米国以外とは政治対話をしないとい…

日米包括経済協議  

米国は89年9月に発足した日米構造協議を、93年の日米首脳会議で拡大し包括経済協議とした。日本国内の金融、保険といったサービス分野の市場を開放することや、両国の貯蓄・投資パターンや、市場・産業構造問題が検討項目となり、米国企業が利益を得られる…

政党助成金導入  

細川護熙内閣は93年8月6日成立した。衆院議長に初の女性、社会党の土井たか子が就任したのも時代の変化を印象づけた。敗戦直後にA級戦犯で逮捕寸前に服毒自殺した近衛文麿は細川の母方の祖父である。8月10日の記者会見で太平洋戦争は「侵略戦争」であっ…

河野談話  

宮沢内閣の経済政策では、バブル崩壊に伴って金融機関の不良債権が問題になりだした。宮沢は公的資金投入の必要性を悟ったが、世論は冷淡だった。護送船団方式に守られた金融機関は、横柄だったし給与なども一般企業の水準を遙かに上まわっていた。行政改革…

政治停滞を招いた再編  

金丸信逮捕の捜査からゼネコンによる中央、地方の政界へのヤミ献金事件が次々に明るみに出た。そのため政治改革論議は何度目かの高揚を始める。93年4月には、自民党が単純小選挙区制導入を柱とする政治改革法案を改めて提出、社会・公明両党は小選区・比例…

鹿島建設の小沢献金  

93年3月6日金丸信が18億五千万円の所得を隠した巨額脱税容疑で逮捕された。7月の初公判で検察側は金丸が87年〜89年にかけ、建設業者などから毎年10億円以上の裏献金を受けていたことを指摘した。93年10月、東京地検特捜部は鹿島建設の副社長・清山信…

佐川急便事件  

92年、東京地検特捜部が摘発した史上最大の特別背任事件とされる東京佐川急便事件が、竹下派を直撃した。一つは9月22日の同社元社長・渡辺広康の初公判などで明らかになった竹下派と暴力団との結びつきである。87年の自民党総裁選で竹下が総裁になったとき…

天皇訪中

宮沢内閣の政策課題は、海部内閣から続くPKOと政治改革であった。PKO協力法案は91年12月3日衆院を通過したが参院で継続審議となった。92年カンボジア和平の進展に伴って、自衛隊派遣を最初の舞台としたい政府は同法案の成立を急いだ。PKOのうち停…

小沢面接

海部内閣の発足当初の主題は政治改革である。政治改革が具体化に向ったのは、リクルート事件によって高まった政治腐敗根絶の声に応じ、自民党が竹下内閣末期に政治改革委員会(会長後藤田正晴)をつくったあたりである。委員会は89年5月22日付で5年後に完成…