2013-03-01から1ヶ月間の記事一覧

浅沼稲次郎暗殺

岸信介の後継総裁選挙には、池田勇人、大野伴睦、石井光次郎、松村謙三、藤山愛一郎が出馬。岸はいったん派閥を解散して、大野からの約束履行の要求をはぐらかし最後には池田に票をまわして流れを決めた(60年7月14日) 大野は政友会の院外団から出発し、戦後…

安保闘争

岸信介は追放解除となって日本再建連盟をつくって以来、占領軍の圧力でつくられた諸制度特に憲法と日米安保条約を正すことを政治的使命として自らに課した。その二大課題は日本が戦前並みの軍事国家に復活すると、岸の履歴と相まって多くの国民は不安を募ら…

岸信介の誓約書

鳩山退陣のあとは自民党総裁公選によって石橋湛山が総裁となり56年12月23日首相となった。本命は幹事長岸信介だったが、通産相石橋湛山と総務会長石井光次郎との連合が成り、岸が豊富な資金で票の買収をすると、石橋の参謀石田博英(組閣後労相)は2億円の買…

日ソ共同宣言

吉田内閣は造船疑獄事件等で民意を失い、鳩山一郎が日本民主党を結成して54年12月10日政権の座に就き、「第3次世界大戦回避のため東西両陣営は貿易を盛んにすべき」と語り、対米一辺倒だった吉田政権との違いを鮮明にしました。これを受けて駐日ソ連代表部…

対米覚書の真相

日米開戦時の駐米大使館参事官井口貞夫は、自分達の落ち度が「騙し討ち」だと非難されたことに憤慨。それを度々聞かされた息子の武夫は、父の汚名を雪ぐべく対米覚書手交の遅れの原因研究に取組み、その裏にあった陰謀を突き止めたのである。41年12月3日に…

文化大革命

国家主席劉少奇は訒小平らと共に、大躍進政策で破壊された経済や農村を救うべく政策の転換を図ります。例えばある程度自由に商売できるよう規制緩和したり、農民の土地所有を認めるなどの方策である。毛沢東にとって重大なのは毛と違う路線を歩みそれが成功…

大躍進政策

57年11月ロシア革命40周年記念式典でのフルシチョフ発言「15年でソ連は米国を追い越す」に刺激された毛沢東は「15年で中国は英国を追い越す」と大言壮語を吐いてしまいます。毛沢東は大規模な設備投資を必要とする鉄鋼生産の目標数値を僅か二年間で5…

百花斉放・百家争鳴

毛沢東の革命の根底にある歴史観は、最盛期の清朝を中国の求めるべき理想像とし、欧米、日本の帝国主義列強に奪われたカザフスタン・キルギス・タジキスタンの一部・パミール高原・ネパール・ビルマ・ベトナム・ラオス・カンボジア・台湾・沖縄・朝鮮半島・…

毛沢東の原点

中国共産党はその初期から殺戮を繰り返していた。彼等は階級闘争と称して資本家や地主、その家族など少しでも裕福な者達を目の仇にし労農階級の敵として殺すのである。党員の中には殺人や焼打ちに嫌悪する者もいたが、その時には彼等自身に殺人を行わせ二度…

造船疑獄事件

日本の海運界は戦前630万屯もの船舶を保有していたが、戦争のため僅か130万屯に激減、それも殆どが老朽船でした。外貨を獲得するためにも早急に回復したい要求は海運業界だけではなかったのである。しかし占領下にある日本は大型外航船の建造は許され…