2015-10-01から1ヶ月間の記事一覧

満州事変----③

1932年5月15日日曜午後5時半頃警備も手薄のなか、総理公邸に海軍の青年将校らの一団がピストルを振りかざして乱入した。犬養首相は全く慌てず「話せば判る」と将校達を応接室に案内した。暫くして「撃つぞ」「撃て」という叫びが聞こえピストルの音が響い…

満州事変----②

1925年3月孫文の告別式に国賓待遇で迎えられ祭文を朗読した犬養毅に31年12月13日組閣の大命が降下した。陸軍大臣に荒木貞夫が就任した。この背後に軍事課長永田鉄山・政友会小川平吉ルート及び軍事課支那班長鈴木貞一・政友会森恪ルートからの強要があった…

満州事変----①

1931年9月18日午後10時20分頃、奉天郊外の柳条湖付近満鉄線路上で関東軍自作自演の爆発が起きた。現場は3年前の張作霖爆殺事件の現場から、僅か数キロの地点である。関東軍はこれを張学良軍による破壊工作と発表し直ちに軍事行動に移った。関東軍は柳条湖…

満州事変前夜----③

1927年に「現在及び将来に於ける日本の国防」で満蒙領有論を構想していた石原莞爾中佐は28年10月10日関東軍作戦主任参謀に就任し、翌29年5月14日板垣征四郎大佐が関東軍高級参謀となった。29年5月19日日本陸軍内に歩兵第3連隊長・永田鉄山大佐を中心とす…