2012-07-01から1ヶ月間の記事一覧

想定外の連戦連勝

41年(昭和16)12月8日未明、日本海軍はハワイ真珠湾の他、シンガポール・ダバオ・ ウェーキ・グアムを攻撃。酒井隆第23軍司令官は12月25日、香港の英軍を降します。シンガポールを北から攻略するためのマレー作戦は、12月8日未明タイ南部のシンゴ ラとパ…

侵略の隠蔽!大東亜共栄圏

41年(昭和16)12月8日午前11時45分宣戦の詔勅が発せられ、正午に全国放送されます。日清戦争の詔勅には国際法、日露戦争の詔勅には国際条規という文字がありましたが、この大東亜戦争の宣戦詔勅は、国際法に換え自存自衛の為、蹶然起ってとなりました。41年…

真珠湾奇襲は戦略的大失敗!

36年(昭和11)イタリアがエチオピアを併合した時、国際連盟が経済制裁を決議したが ムッソリーニに石油禁輸は戦争を意味すると言われ制裁を断念しました。日本がそれ を明言すれば米国は国内世論・議会に戦争を挑発した責任から逃れられなかったろう。ルーズ…

宣戦布告前の真珠湾奇襲

次代の者としてハルノートを読む時、22年の九ヵ国条約・27年の不戦条約に加盟する 日本に満州事変以前に戻れという内容は当然で、日本の侵略は批判されるべきである。しかし、陸軍内にあっては妥協を許さない強硬論を吐けば、常に一目置かれる存在に なり栄…

東条首相にも知らされなかった開戦日

41年(昭和16)11月15日戦争の終結について連絡会議を開きます。①初期作戦が成功し 自給の途を確保し、長期戦に耐えることができた時 ②蒋介石が屈服した時 ③独ソ 戦が独の勝利で終わった時 ④独の英国上陸が成功し英国が和を請うた時 その時に は米国は戦意を失…

ナポレオンの轍を踏むヒトラー

ドイツ諜報の最大の誤りは、赤軍が一個師団を粉砕されても、すぐ新しい別の師団を 創設する能力を持っていたことを見過ごした点にある。38年のソ連の一般兵役法では、 予備役の召集年齢を50歳に拡大。この施策によって独軍の侵攻が始った時、すでに 最低限…

天皇の和平への期待を裏切った東条首相

6兆55O億円の戦費を投じ、19万人が戦死95万人が戦傷、しかもなお75万人 が戦場である中国大陸にあった41年に、更に対米戦争に突入することの正否こそ論ず べきなのに、独軍勝利を過信する軍部は、犯してはならない二正面どころか多方面、 殆ど全世…

日米開戦責任を押付けあう陸軍・海軍

軍部が日米戦争を推進する背景に、ソ連・英国に独軍が絶対勝利するという妄信があ りました。41年(昭和16)9月3日連絡会議での海軍軍令部総長永野修身は「日米戦争 は長期となると思う----敵に王手で行く手段はない。王手がないとしても国際情勢の 変化によ…

近衛は日米首脳会談を模索するが---

第三次近衛内閣は発足直後から、軍部からは突き上げられ対米戦争か否かの問題が急浮上。永野修身海軍軍令部総長は41年(昭和16)7月31日天皇の下問に石油の備蓄量は二年分のみで、戦争となれば一年半で消費してしまう。この際打って出る他はない-- と奏上。こ…

石油全面禁輸を招いた南部仏印進駐

41年(昭和16)6月22日の独ソ戦勃発は日本の国策を一気に南部仏印進駐に傾きます。 海軍中枢から外された石川信吾大佐は前年11月軍務局第二課長に復帰し南部仏印進 駐を強硬に主張。これが米国との戦争となるなら受けて立つと気負って見せます。天皇は南部仏…