近衛は日米首脳会談を模索するが---

第三次近衛内閣は発足直後から、軍部からは突き上げられ対米戦争か否かの問題が急浮上。永野修身海軍軍令部総長は41年(昭和16)7月31日天皇の下問に石油の備蓄量は二年分のみで、戦争となれば一年半で消費してしまう。この際打って出る他はない--
と奏上。この裏に正確な備蓄量を隠蔽した第一委員会の石川信吾の画策がありました。

東条陸相は秘かに日米の戦力比の検討を軍事課に命じます。内政班長大槻章は東条さ
んは日米戦は無理と納得。が日本には世界に無比の皇国精神があると言い出す始末。
ノモンハン事件日露戦争当時の軍装・戦術で戦い、大敗した反省は皆無なのである。

8月4日近衛は東条陸相・及川海相米大統領との会談による日米交渉打開を提案。
会談決裂の場合は対米戦争の覚悟を決めてかかると言切ります。近衛はルーズベルト
との合意が出来れば、天皇にお願いして陸軍のあらゆる対米敵対行為を止めるよう命
令を出して戴く積りで、天皇には絶対服従の東条には有効だったが too lateでした。

8月12日から14日までルーズベルトチャーチルは大西洋会談を行い、日本との武力
衝突を予想し、軍備拡充のための時間稼ぎが必要と合意します。再三の警告を無視し
て南部仏印に進駐した日本に世界が譲歩する筈がないのである。

9月5日夜近衛は帝国国策遂行要領草案をもって天皇に拝謁。第一が戦争準備で、第
二が外交交渉、第三が十月上旬までに交渉が纏らざる場合は開戦を決意となっていて
天皇は交渉に重点を置くよう要求。近衛は杉山参謀総長軍令部総長を呼び出します。

天皇は杉山に「日米事起らばいくばくの期間に片付ける確信か」「南洋方面は三ヵ月
位にて--」「汝は支那事変勃発時の陸相なり、その時事変は一ヵ月位にて片付くと申
せしことを記憶す。しかるに四ヵ年の長きに亘り片付かんではないか」「支那は奥地
がひらけており--」「支那の奥地が広いというなら、太平洋は尚広いではないか。如
何なる確信あって三ヵ月と申すか」杉山はただ頭を垂れ答うるを得ず----

参謀本部は作戦部長田中新一の強硬方針により上述の通り、南方を三ヵ月で片付けたら北方へという企画を持っていたのである。

日ソ中立条約を破ろうとした陸軍。その条約を一方的に破って北方四島を占領したソ
連(ロシア)は、歯舞・色丹二島の返還をもって「ひきわけ」としたいのである。


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