東条首相にも知らされなかった開戦日

41年(昭和16)11月15日戦争の終結について連絡会議を開きます。①初期作戦が成功し
自給の途を確保し、長期戦に耐えることができた時 ②蒋介石が屈服した時 ③独ソ
戦が独の勝利で終わった時 ④独の英国上陸が成功し英国が和を請うた時 その時に
は米国は戦意を失うだろう。それまでは長期戦になろうと頑張ろうという結論でした。

この③と④は必ず到来すると信じ、だから勝算ありと見積もったのである。しかし初
期作戦不成功の場合、独が崩壊した場合など日本に不利なことは全く考えていません。

15日からの臨時国会では、追加の軍事予算38億円がまともに審議されずに成立。東
京日日新聞は一億総進軍の発足!朝日新聞は国民の覚悟に加え、国内体制の完備に総力を集中すべき時!と勇ましい論陣を張り対米英強硬の笛や太鼓を鳴らし続けます。

26日米国陸軍は一万屯級の10〜13隻の船団が台湾南方で認められたという情報を
伝え、即日日米交渉が進めてきた妥協を全く認めないハル・ノートが手交されます。

その元はホワイト財務次官が起草しモーゲンソ―財務長官がハルに提示した案でした。
ホワイトはIMFの創案者でもあり、戦後ソ連のスパイであることが発覚後自殺。資
本主義国同士を戦わせる共産主義勢力の一員としてこの提案を創ったのは当然である。

26日山本五十六連合艦隊司令長官は、単冠湾を発して真珠湾に向けて航行中の機動部
隊に対し12月8日予定通り決行せよと発信します。

29日の連絡会議で杉山参謀総長や永野軍令部総長は、以後の外交は偽装外交に徹してほしいと要求。東郷茂徳外相は、統帥権干犯を承知の上、では開戦の日は何時なのか?と質すと軍令部次長伊藤整一は12月8日だと答え東条首相も開戦の日を初めて知らされます。

30日午後天皇嶋田繁太郎海相と永野軍令部総長を呼出します。ドイツが戦争を止め
ることがあった時どうするつもりか?嶋田は、ドイツは頼りになる国とは思いません。
たとえドイツが手を引いても全く関係ありませんと答えます。ドイツの勝利が前提の
戦争計画の根本ではなかったか。どういうことなのだろうか?


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