真珠湾奇襲は戦略的大失敗!

36年(昭和11)イタリアがエチオピアを併合した時、国際連盟経済制裁を決議したが
ムッソリーニに石油禁輸は戦争を意味すると言われ制裁を断念しました。日本がそれ
を明言すれば米国は国内世論・議会に戦争を挑発した責任から逃れられなかったろう。

ルーズベルトチャーチルも恐れたのは、日本がまず英蘭だけを攻撃することであっ
た。もし日本政府がハルノートを世界に公表し、石油禁輸の撤回を要求したのちに宣
戦布告すれば、米国の世論は戦争に反対するか、分裂したまま戦争に入ったろう。

戦略が良ければ戦術が悪くても収拾の方法はある。むしろ戦術的に勝ち進めば進むほ
ど、戦略の悪さが露呈されるのが遅れて、取り返しのつかない大敗北を招くのである。
     真珠湾奇襲という戦術的大成功は、戦略的大失敗であった!
優れた戦略の基礎には良質な情報と正確な情勢判断が必要なのである。

日本は米国世論の怖さを知らな過ぎた。さらにソ連共産主義が力を信奉し冷酷に利益
を追求する現実主義に徹することも知らなかったのである。

1883年(明治16)4月に開校した陸軍大学校は、高等兵学、高等用兵(師団以上を動か
す技術)に関する学術の養成機関としてスタートしたが、実際はエリート将校養成機
関となり、卒業した者は陸士卒より進級も早く陸軍省参謀本部の要職を独占します。

授業時間数は戦略戦術が七割、戦史が二割五分で陸大は戦争の技術ばかり勉強させて、国内産業の実態、外交、国際関係、貿易あるいは戦争と国民心理等大局から見た戦争を教えなかった。結果、軍備は国民の生存のためよりも政策に利用されてしまいます。

日米開戦時の首相兼陸相兼内相の東条は陸大27期、陸軍次官兼人事局長富永恭次は35期、軍務局長武藤章は32期、兵務局長田中隆吉は34期、軍務課長佐藤賢了は37期、加えて参謀総長杉山元は22期卒業である。


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