天皇の和平への期待を裏切った東条首相

6兆55O億円の戦費を投じ、19万人が戦死95万人が戦傷、しかもなお75万人
が戦場である中国大陸にあった41年に、更に対米戦争に突入することの正否こそ論ず
べきなのに、独軍勝利を過信する軍部は、犯してはならない二正面どころか多方面、
殆ど全世界を敵とし、自滅が明白な大戦争に飛び込むのです。正に他力本願!蛮勇!

41年(昭和16)10月14日陸軍は支那撤兵不同意。日米交渉打ち切りと10月15日(明日)に
開戦を決定できないならば内閣総辞職のほかなしと主張。16日第三次近衛内閣総辞職

10月17日重臣会議が開かれ、天皇の意を体した木戸幸一内大臣が東条陸相を支持。軍
務の総てを天皇に報告した東条は、軍内では東条の上奏好きと揶揄されていたのです。

大命降下と同時に9月6日の御前会議決定の再検討(白紙還元の御諚)が伝えられ、十
月上旬に至っても日米交渉不成立の場合は開戦を決意するという決定は白紙となるが
天皇から与えられた最期の和平チャンスを、東条は生かすことができません。

東条や幕僚達が最も恐れるのは明治以来、陸軍の先人たちが獲得した権益を失い、そ
れを自らの時代に解体されることにありました。結局陸軍の面子を優先させ、米国が
指摘する満州事変以降は、22年に調印した九ヵ国条約違反であることを省みないのだ。

11月5日御前会議が開かれ、対米交渉の甲乙二案を了承。外交は12月1日午前零時ま
でとし、開戦は12月初旬と決定します。

陸軍は6日寺内寿一大将を総司令官とし、第十四・十五・十六・二十五軍を基幹とす
る戦闘序列を発令。海軍は5日作戦準備地点への進出を、ハワイ攻撃艦隊は22日まで
南千島択捉島の単冠(ヒトカップ)湾集結を命じます。

この頃、在日米大使館の書記官が帰国して極東担当顧問ホーンベックを訪問し、日本
が戦争を始めるかもしれないと在日大使館の憂慮を伝えます。彼は「歴史上絶望感か
ら戦争を始めた国家の例が一つでもあったら言ってみてくれ」と反問したという。


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