百花斉放・百家争鳴

毛沢東の革命の根底にある歴史観は、最盛期の清朝を中国の求めるべき理想像とし、欧米、日本の帝国主義列強に奪われたカザフスタンキルギスタジキスタンの一部・パミール高原・ネパール・ビルマベトナムラオスカンボジア・台湾・沖縄・朝鮮半島・ロシアのハバロフスク沿海州一帯・樺太を回復することにある。

これらの多くが昔の朝貢国であったということ、特に日本国民にとって注意が必要なのは、沖縄が日本によって占領されたと主張していることである。

毛沢東は53年の第一次五ヵ年計画で超大国化を進めると同時に農業の集団化という名の農民の農奴化を進めます。農民から土地を奪い、私営企業もなくし集団化して効率の良い生産を行わせたが、農民達の不満は広がり農業生産も落ちていきます。

中国の核兵器開発は55年毛沢東の指示によりソ連の援助と協力を得て行われる計画で開始されたが、ソ連の反対を押切って遂行したため59年6月ソ連は核開発に関する援助を停止。それ以降は独力で開発を進め64年には原爆実験に成功し、67年には水爆実験にも成功します。

56年5月末、毛沢東は知識層の力を利用して政敵を攻撃するため、共産党に対する批判を許容する運動「百花斉放・百家争鳴」を発動します。ところが党中央に対する批判も出たが、毛沢東に対する批判まで噴出しついにこの運動は終わりを告げ、お前達は右派だ!といって弾圧を行い、57年の反右派闘争で数十万の人々が粛清されました。

中国共産党が言う「言論の自由」が如何にまやかしであるかはこの一事を見ても明らかである。自分に都合の良い言論は自由に、都合の悪い言論は弾圧する。こういうのは、普通、言論の自由とは呼ばない。

毛沢東は粛清で国民を黙らせると、58年に悪名高き「大躍進政策」を発動するのである。


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