鹿島建設の小沢献金  

93年3月6日金丸信が18億五千万円の所得を隠した巨額脱税容疑で逮捕された。7月の初公判で検察側は金丸が87年〜89年にかけ、建設業者などから毎年10億円以上の裏献金を受けていたことを指摘した。

93年10月、東京地検特捜部は鹿島建設の副社長・清山信二を前茨城県知事への贈賄容疑で逮捕した。その直後、清山から小沢一郎に対し92年12月現金500万円が手渡されたという裏献金疑惑が報じられた。

小沢は会見を開き、小沢自身は金銭の授受はしていないが、500万円はいくつかの小沢の政治団体で処理したと釈明した。しかし政治資金収支報告書のどこにも鹿島建設の記載はない。そこを突かれると「内訳の公開は法的に要請されていない」と説明を拒み、国会での証人喚問の要求にも耳をかそうとしなかった。

証人喚問が実現しなかった最大の理由は、時の政権が小沢の牛耳る非自民・細川護熙連立内閣だったからである。与党社会党が小沢ら14人の喚問要求リストを用意したところ、他の連立与党各党が小沢が含まれていることに反発、リストの受取りを拒否したため、やむなく小沢を除外したという。

小沢の元秘書・高橋嘉信は「小沢に命じられ身代わりとなって四、五回、検察庁ではなくホテルの一室で取調べを受けた。しかし、こちらのシナリオ通りに話しても検察が受入れないことが一点あった。『その500万円はハダカのままか、紙袋に入ったものか、風呂敷に包んであったものか』と詰問され続けました」

「私は小沢にそれを伝えて尋ねました。小沢はなかなか口を開いてくれません。そして最後に『白い包み、白い包みだ』と大声で吐き捨てるように言ったのです」「次の聴取の際に白い包みに入った500万円の受領を供述し、一件落着したというのが事の真相です」「この清山献金問題などについて、ある人物を通して検察の動きは刻一刻と小沢に伝えられていたのです」と証言している。

つまり小沢本人の直接授受と知りながら、検察は小沢らの圧力に屈し調書を作文して不起訴としたのである。裏献金が発覚すると秘書に罪をなすりつけ小沢自身の保身に走る。小沢の師・田中角栄も、金丸もそれだけはやらなかった。カネに異常なまでに執着する小沢の断面が透けて見える事件であった。


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