公的資金注入

97年11月17日都銀の一角を占めていた北海道拓殖銀行が破綻を公表した。一週間後の24日朝には四大証券の一つ山一證券が破綻する。それも大蔵省証券局長・長野厖士が自主廃業を発表するという異例の事態だった。これで金融不安が一気に広がった。

破綻の原因となったのは、バブル崩壊によって企業から請負っていた財テクに損失を出した。山一はその処理を誤った。株価の値上がりを期待して簿外に隠し先送りしたのである。しかし、株価の下落は止まらず、損失は膨れ上がり破綻の原因となった。

山一破綻をめぐりおかしなことが数々ある。証券局長が支援を約束しておきながら、突然自主廃業を宣告したこと、某銀行と提携の話が煮詰まっていたのに突然破棄されたこと、時を同じくしてムーディーズが山一の格付けを大幅に下げ、株価が暴落したことである。結局、山一証券は米国のメリルリンチに売却された。

96年大蔵省は、日本の銀行の不良債権は40兆円と発表した。それが98年1月には77兆円となる。98年2月「金融システム安定化法」が制定され、30兆円の公的資金枠が用意された。うち17兆円は預金を守るため、残り13兆円は自己資本が不足する銀行へ資本注入するためである。資本注入を審査する佐々波委員会が設置された。

ところが、公的資金を注入するのは健全行のみとされた。注入申請は資本不足を自ら告白するに等しく、申請する銀行がないからである。そこで、最も健全な東京三菱銀行に手を挙げてもらい、全ての大銀行が挙って申請することになった。政策当局が無策ではなかったとのアリバイ作りに使われただけで、本気で金融危機を阻止する者は誰もいなかったのである。13兆円の枠のうち資本注入されたのは僅か1兆8千億円だった。

その直後から長銀日債銀の株式が売り浴びせられた。破綻したのは資本注入から4ヶ月後のことである。破綻した長銀日債銀の役員は赤字であるにもかかわらず、株主配当を行ったと粉飾決算・違法配当の罪に問われる。08年8月最高裁長銀役員に対して、当時会計ルールが確立されていなかったという理由で無罪とした。

銀行の役員は刑事罰で告発されたが、監督当局の大蔵省も佐々波委員会も、初めから告発されてもいない。自己責任と経営責任だけを問い行政責任は無視するパターンはここでも踏襲されたのである。


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