長銀破綻

98年6月経営悪化が伝えられていた日本長期信用銀行の株価が3週間で3分の1近くの200円に急落し、金融不安が進展した。長銀は預金を集める普通銀行ではなく、無記名式のワリチョーやリッチョーと愛称された金融債で資金を集めて運用する長期信用銀行である。

金融ビッグバンで普通銀行も債券発行が可能になり強みを失っただけでなく、融資も預金も対象が限定される制約は残った。普通銀行に比べ支店が少ない点も競争力を殺いでいた。焦りからくる拡大路線がバブル崩壊裏目にでた。長銀の株価は下がり続け7月22日には額面割れの49円となり、8月11日には39円となった。山一證券と同様ムーディーズによる格下げが売りを加速させたのである。

7月12日参議院選挙が行われ自民党は大敗する。橋本改革による経済悪化と金融不安に国民がNOを突き付けたのである。橋本はその責任をとって退陣し小渕政権が誕生した。大蔵省は長銀日債銀については救済合併を目指した。政府は住友信託銀行に白羽の矢をたてるが条件が折り合わず、10月談判は決裂。時間だけを空費した。

長銀は破綻させないToo Big To Failという方針に対し、野党民主党は大銀行と雖も破綻させる対案を出した。国営化の選択肢も明記していた。自民党石原伸晃塩崎恭久など若手議員や梶山静六もこれに与した。マスコミも護送船団の救済ではなく市場メカニズムの尊重を訴えた。一刻を争う緊急事態の中で長銀処理は店晒しになった。

98年9月、年率40%を超える高利回りで名を轟かせた米国のヘッジファンドLTCMが破綻の危機に瀕した。アジアの金融危機、ロシアの金融危機への対応に失敗し巨額の損失を抱え込んだのである。NY連銀のマグドナー総裁はLTCMに融資・出資している銀行を呼び集め、資本注入を要請した。

見事なまでの護送船団だった。護送船団も時によっては最善の策になり得るのである。日本のマスコミはこの護送船団方式を批判するどころか「さすが米国、対応が速い」と褒めた。「米国の対応に見習え」との社説もあった。しかし、米国のダブルスタンダードには、只々驚愕するばかりである。

野党案丸呑みの結果、長銀は公的管理に移され(一時国有化)不良債権の処理が進められた。最終的に長銀には7兆9千億円にのぼる公的資金が注入された。住友信託による長銀救済合併を要請した時点で、この半分の公的資金の注入を決断していたら、手を挙げる金融機関は他にもあったであろう。


レース結果共鳴チェック