必然の結果 「ロシア革命」

91年(明治24) の露仏同盟の締結をきっかけに、ロシアはフランスから延々20年にわ                                                                                たって借金し、遂に05年シベリア鉄道を開通させます。これがロシアの産業革命の象
徴となります。

また、侵略戦争を推進する軍備拡張には、膨大な外貨が必要となり、国民が飢餓に陥
ることを承知の上で、穀物輸出を強行します。まさに「飢餓輸出」ですね。
ナポレオンがロシア遠征したのは、ロシアが英国への小麦輸出のため、ナポレオンの 大陸封鎖令を無視した結果であったように、飢餓輸出はロシアの伝統と言ってよい。

第一次大戦でロシア社会の矛盾は一層深刻化します。低い労働条件はさらに低下し、
労働者は革命化します。軍は拙劣な指導と劣悪な装備で連敗し、兵士も革命化します。
戦場への人畜動員は農業生産を低下させ、輸送は麻痺して、都会の食料危機を招きま
した。

17年(大正6)3月8日 首都ペトログラードで食料危機からデモ・ストライキとなり、
10日 全市の労働者の政治ゼネストに拡大、12日には軍隊が合流を開始します。

前線の大本営にいたニコライ2世は、15日退位し、ここに300年続いたロマノフ王朝
崩壊します。(三月革命)そして十一月革命後に監禁され、内戦中に家族と共に革命派
によって、殺害されます。ニコライ50歳。

フランス革命が何故起こったか、ニコライは学ばなかったようである。
相次ぐ戦争で財政危機に見舞われても、ルイ16世は1778年、アメリカ独立戦争でアメ
リカ側について参戦し、英国を破るのだが、戦費は約20億リーブル(300兆円)で、当 時のフランスの国家予算の4〜5年分に達し当然財政は破綻し、フランス革命の端緒 となったことを--- 



レース結果共鳴