戦時下の翼賛選挙

第二次近衛内閣の時、戦時下を理由に一年延長になった衆議院議員の任期が42年(昭
和17)4月29日で満了となるため、4月30日5年ぶりに総選挙が施行されます。

東条首相が陸相・内相を兼任したのは、天皇の意向に従ってハルノートに屈した場合、
クーデターや内乱勃発もあるため憲兵や警察を一手に握り鎮圧するためでしたが、東
条は42年2月17日選挙には玄人の内務次官湯沢三千男に内相の地位を譲ります。

政府自ら候補者を推薦できないので、東条は2月23日各界の代表33名を首相官邸
招き候補者推薦の協力を求め、翼賛政治体制協議会(翼協=阿部信行会長)を結成。推
薦候補466名、613名が非推薦で立候補。推薦候補に渡された選挙資金は1人当
り5千円とも5千円〜3万円ともいわれ、臨時軍事費から流用されたという。

鳩山一郎尾崎行雄片山哲ら同交会は推薦制度に反対。中野正剛の東方会は翼協の
推薦を拒否し独自に候補者を立て、非推薦立候補者は各地で選挙妨害を受けます。

尾崎は川柳「売家と唐様で書く三代目」を引用し明治から三代目の昭和の御代を批判
したため投票日の直前検挙されます。議員除名された斉藤隆夫はその筋から何回も立
候補辞退を勧告され、選挙運動用の印刷物をすべて内務省の命令で差押えられます。

国民にとって棄権は義務を怠るものとして非難されたので、投票率は83.2%に達
し推薦候補の当選者は381名・当選率81.8%で、その内の新人には現商工大臣
岸信介・陸軍大佐橋本欣五郎・元東京帝大教授蝋山政道らが名を連ねました。妨害を
受けながらも尾崎・斉藤は当選を果たします。また右翼関係者の進出も目立ちました。

佐野眞一著「阿片王」に「上海の里見甫は岸が立候補した時200万円を提供した。
鉄道省から上海の華中鉄道に出向していた弟の佐藤栄作が運び屋になって岸に渡した
」とあります。


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