ミッドウエイ作戦の大失敗を隠蔽する日本海軍

山本連合艦隊司令長官の、アリューシャン列島のキスカ島・アッツ島攻略により日本
が北方作戦に出たと思わせて、ミッドウエイ攻撃を行うという牽制の意味を持つ作戦
のゴーサインを大本営は42年(昭和17)5月5日発令します。

しかし米国は暗号電報の解読によって日本海軍が大作戦の準備をし、その主目標がミ
ッドウエイであることを探知してニミッツ太平洋艦隊司令長官は迎撃態勢をとります。

アリューシャン攻撃隊を含めて350隻の大艦隊、参加した飛行機千機、将兵10万
を超える出動であり、迎えうつ米軍は3空母・7重巡洋艦を主とした機動部隊でした。
この海戦で日本海軍は4空母・322機の飛行機・兵員3500名を失う大惨敗で失
った最優秀のパイロットの損失は、埋められないまま敗戦にまで至ることになる。

敗因は、艦船攻撃用(魚雷)―陸上攻撃用―艦船攻撃用と爆弾装備の転換にあった。し
かし半藤一利は「南雲忠一司令部は米空母は出てこないと決め込み、はじめから命令
に反し、空母赤城と加賀は陸上攻撃用の爆弾を装備していた」とする澤地久枝の説に
加担します。私は味方機収容を後回しにして、陸上攻撃用爆弾で米空母の甲板を攻撃
するという咄嗟の気転が必要であったと痛感しています。

当時の黎明索敵は480K飛んで夜明けを迎え、Uターンして帰路を偵察するのであ
る。往路の索敵不能をカバーするため、第二段として一時間遅れて次の索敵機が出て
ゆく。この基本的な二段目の索敵を怠り米軍空母の発見が遅れたのである。華やかな
空爆を重視して、地味な索敵を軽視する日本海軍のもつ欠陥であった。

ここで山本や南雲の引責辞職もあって然るべきであったがその気配もない。敗戦の事
実は秘匿され信賞必罰は全く行われません。41年12月10日のマレー沖海戦で英国が誇
る最新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズを失ったとき、チャーチルは下院に赴き「
今のところ日本の公式発表以外の詳細はないが」と言ってその事実を報告しました。

岡崎久彦は言ってます。お互いに失敗を庇い合う日本の伝統的な連帯意識が、嘘をも
許容しついには重大な政策判断の錯誤に至る例は枚挙に暇がない。それは軍事だけで
なく、日本の社会・文化のすべてのなかに深く根ざしている欠陥なのである----と


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