日清戦争

前出の大江志乃夫著「日本の参謀本部」から引用します。

伊藤博文首相の政略は、軍部の主張する北京を攻略すれば清朝政権が崩壊する危険
があり、日本は講和の相手を失って泥沼の戦争に引きずりこまれる恐れがあったので
軍の絶対戦争論を抑え制限戦争論を指導しました。」しかし

「伊藤はビスマルクに倣ったつもりであったが、朝鮮から清国の手を引かせるという
当初の戦争目的をこえ、清国に過大な領土要求をした結果、三国干渉を引き出して
日露戦争の原因をつくり、日中両国の不幸な敵対的関係に門を開いた。」

私はこれは、ズバリ核心を突いた評価であると思います。
『東洋のビスマルク』と自称した伊藤の軽薄さを痛感します。

ビスマルクなら、領土の要求をせず、かたちだけの賠償金にして、日清軍事秘密同盟
を結びロシアに対抗したであろう。
普仏戦争で敗ったフランスのみを敵としたビスマルク外交から、伊藤は何も学ばず、
勝った勝ったと狂喜する日本国民に迎合しただけの、三流宰相なのである。

つまり、日本以外を全部「敵」とする亡国の道を突進していくのである。

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