薩長閥の「国家の私物化」延々と

① 山県有朋の「山城屋事件」---兵部省出入の政商「山城屋和助」は兵部大輔山県有
朋を説得して兵部省の資金延べ80万円(現在の数千億円)を洋銀や生糸に投資させた 
が、普仏戦争で生糸の最大の輸入国フランスが負け大暴落、失敗に終る。明治5年山県
は和助を陸軍省に呼び長州閥各個の借用書等を焼却、和助に割腹自殺を命じ証拠隠
滅。山県は事件に無関係として無罪となる。山県の下僚、船越・種田・木梨は「山県
への事件の報告を怠った。」として、閉門数十日。


② 井上馨の「尾去沢銅山事件」---廃藩置県で各藩から国が引継ぐ債権・債務の整理
中、大蔵大輔井上馨が村井茂兵衛に難癖をつけて尾去沢銅山の採掘権を取り上げ、  
井上の息のかかった商人岡田平蔵に譲渡した疑獄事件。明治8年の東京上等裁判所  
の井上に対する判決は僅か30円の罰金。採掘権は村井に戻らず、明治13年岡田は銅山
を三菱に譲渡。①と②は09.2・3月「歴史に好奇心」から


③ 明治9年7月末、参議兼開拓長官黒田清隆札幌農学校設立のためクラーク博士
と共に北海道に向け汽船玄武丸に搭乗。酒に酔った黒田は突然小樽沖から対岸の断崖
めがけて大砲を発砲。漁夫斉藤清之助の長女多津与が死亡。遺族に多額の金で内済。


④ 明治11年3月泥酔して帰宅した黒田はその妻せい子を些細なことから斬殺、病死 
とした。大久保利通はこれを隠蔽することにし、大警視川路利良(薩摩)に棺内を検め
させた。川路はその配下だけでなく医者も伴っていたが、検視官が棺のふたを開け一 
同が棺の中を覗いた瞬間「これでよろしい、他殺の形跡はない。」と宣言したとい 
う。③と④は「翔ぶが如く」第三巻


これらの私物化の背景にある、「徳川幕府を倒したのは俺達だ!」という強烈な驕り 
を痛感します。そして身内には曖昧で超甘な体質は、外国要人「閔妃暗殺」「張作霖

爆殺」へとエスカレートしていくのである。

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