「維新の三傑」次々に他界!
「西郷隆盛に対する刺客問題といい、私学校生徒の陸軍火薬庫襲撃問題といい、西南
戦争の導火線に火をつけたのは明治政府であるというのは、大久保利通も川路利良も
認めざるを得ないであろう。」と「翔ぶが如く」第七巻にあります。
大久保らの謀略で勃発した西南戦争で、明治10年9月24日 西郷城山にて自刃 50歳
翌年5月14日 大久保は旧加賀藩士族島田一郎らの襲撃により暗殺されます。48歳
島田の斬奸状には、大久保が隠蔽した黒田清隆の一件も挙げられていたといいます。
大久保や彼の後継者伊藤博文も常に天皇の権威を利用し強権を振るう、まさに「徳」
の無い為政者には、暗殺という突然の最期が待っているものだナ---と痛感します。
木戸孝允は西南戦争が開始されて間もない、明治10年5月26日 結核にて永眠 44歳
僅か1年の間に「維新の三傑」は次々と他界していくのである。