日本公使、朝鮮国国母『閔妃』を殺害!

今回は、角田房子著「閔妃暗殺」を引用します。
三国干渉は、朝鮮国の独立を主張した日本に多大な悪影響をおよぼす結果となります。

一度日本に許可された「京仁鉄道敷設権」は取消され、アメリカに再譲渡されます。
これは日清戦争の戦費捻出に追われた日本は、すぐに着手出来なかっただけでなく、 列強諸国の朝鮮政府に対する「独立国ならば俺にも」という圧力があったからである。
 
反日親露政策を強化する朝鮮政府 (実権は閔妃) に業を煮やした日本政府は、井上馨 朝鮮公使を更迭。同一長州閥の子爵三浦梧楼が明治28年9月1日着任します。

三浦の着任から僅か40日足らずの10月8日午前8時半、三浦の計画に従って閔妃は無 惨に暗殺されます。著者は「女性の私には表現できない」という惨さであったのだ!

轟々たる国際的非難は日本政府に集中します。治外法権により、三浦一党は広島で裁 判を受けるが、証拠が山ほどあったにもかかわらず、証拠不充分として無罪放免されます。

それどころか、三浦は枢密顧問官・大正政界の黒幕として君臨し、安達謙蔵は大臣を
歴任し政党の総裁となり、楠瀬幸彦中佐は大正2年陸軍大臣となります。
閔妃暗殺はその後なんの悪影響も及ぼさず、かえって「箔」をつけて出世街道を走らせる有様なのである。

その陰で、28年12月28日 李周会、朴銑、尹錫禹らは無実であるにもかかわらず、 閔妃殺害の下手人として絞首刑となります。これは三浦らを救済工作する次期公使 小村寿太郎金弘集内閣に対する強力な圧力だったのである。 続いて前出「李朝滅亡」から引用します。

三浦が広島から帰京した時、新橋停車場の見物人たちは、この暴漢たちに万歳の声を
あげ、まるで英雄でもむかえるかのように歓迎した。日本全国の朝野もそれにならった。日本は狂いはじめていた。-----と

過度のナショナリズムは、個人の持つ理性を失わせ、政府はそれを政府への支持と錯覚し『国のため』であれば何をやっても許されるという、悪しき前例を残した。         本当に恐ろしいものですネ。

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