前途多難な浜口内閣

29年(昭和4)7月2日民政党浜口雄幸が組閣します。陸相宇垣一成、外相に幣原
喜重郎が返り咲き、逓信大臣には小泉純一郎の祖父、又次郎が就任、久原房之助から 引継ぎを受けます。尚、民政党は27年6月憲政会と政友本党が合同して結党、三菱財 閥が後援したと言われます。

新内閣のもとで田中内閣の汚職事件が次々暴露されます。天岡直嘉 賞勲局総裁の売
勲事件、小川平吉鉄相の私鉄買収事件、山梨半造朝鮮総督の釜山取引所事件で大物政治家が逮捕され、加えて東京市会では全議員の半数が司直の手にかかる有様でした。

長州亜流の宇垣陸相は、29年8月の定期異動で長州閥打倒の急先鋒、参謀本部作戦部
荒木貞夫を熊本の第六師団長に飛ばしてしまいます。

30年2月現役定限年齢に達する鈴木荘六参謀総長の後任をめぐって、上原元帥は武藤
信義を参謀総長荒木貞夫を参謀次長に推し、陸相のもつ人事権に介入します。金谷
範三を推す宇垣陸相は、天皇の聖断を仰ぎ天皇の裁定で金谷に決定するという混乱を
露呈します。

29年10月24日ニューヨーク株式取引所で株価が暴落して始った史上最大規模の大不況
は全世界に波及し日本では企業・銀行が倒産し失業者が増大、社会不安が広まります。

幣原外相腹心の佐分利貞男が、駐ソ大使となる出世を犠牲にして中国公使となります。
29年11月29日払暁、佐分利公使は箱根富士屋ホテルで不慮の死を遂げる事件が突発、
或は自殺といい、或は他殺と伝えられました。

松本清張は「昭和史発掘」で「他殺を強く推定したい。」当時の警視総監丸山鶴吉は
「あの事件の真相は、日本の国体が変わった時に初めて判る」と言ったという。

以前掲載した26年10月の石田基検事の怪死事件について、松本清張は同書で「政友会
院外団員、前科七犯村井亀吉が企画し、実行犯は政商久原房之助ルートで海外に逃が
れた。」と言っております。


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