続 東京裁判

時として軍部の強硬論に迎合した木戸幸一は、天皇を護るためにはすべてを軍の責任に帰すべきだと考えます。軍に対する憎悪は戦後日本の社会心理の一つの基調をなし確かに統帥権をかさに着た若手軍人の跳梁跋扈、それを統制できず迎合した軍指導部、召集された初年兵らに対するビンタ等の過剰なシゴキは他国の軍隊には見られない。

しかし満州事変が軍の独走であったことは明らかだが、もとは在満日本人の要望によるものであり国民世論がこれを支持した。支那事変となると参謀本部は止めようとしたが中国側の挑発と日本の世論マスコミの愛国的風潮に抗しきれなかった。三国同盟締結も日米諒解案の拒否も松岡洋右外相の暴走で、軍部だけが悪者ではないのである。

ウェップ裁判長はじめ連合国の判事のなかには天皇の戦争責任を追及する意見が終始あった。それがなくなるのは最終判決が出てからである。裏から見れば48年末まで天皇の処遇を人質に取られ、憲法にしろ法律にしろマ元帥の命令に従う他はなく、マ元帥も占領行政を誤れば天皇に責任追及が及ぶ危険を3年間凌いだといえるのである。

また東京裁判の後遺症として、明治期の日本のしたことは正しく人物は立派であり、昭和の日本のしたことは悪であり人物は腐敗堕落していたという史観を生みました。

清国を侮り長州閥の反対を押切って台湾出兵を強行した大久保利通。朝鮮を利益線と勝手に決め日清戦争を招いた山県有朋下関条約で過度な要求をし三国干渉で恥をかかされた伊藤博文。そして独ソ戦でドイツの勝利をあてにし、米国英国を侮って太平洋戦争を始めた東条英機。どこに相違があるのだろうか?視野の狭い彼等は他国を侮り明日をも読めず国民に迎合するだけで、欧米の指導者に比べれば三流以下と言うべきである。

ロシアの脅威に対する西郷隆盛と清国左宗棠との密約(日本・清国・朝鮮の三国軍事同盟)は正しい戦略だった。この同盟が実現していれば米国との戦争はなかったろうし中国の赤化も防げたであろう。武士道精神を貫いた西郷だけが100年先を見据えていたのである。


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