講和の本格的論議が活発になるのは、49年秋にアチソン米国務長官らが対日講和の検討に入ってからで、米英仏など西側諸国だけとの単独(片面)講和か、ソ連など共産主義国も参加する全面講和かという議論で国中を巻き込みます。吉田首相は冷戦下の現実を見れば…
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