菅内閣不信任案否決

11年4月10日に行われた41の道府県議選の結果、自民党は大阪を除く40県議会で第一党となり、15の政令市議選でも、自民党の222議席に対し民主党は147議席であり、公明党の157議席にも及ばなかった。4月24日に行われた東京区議選でも自民党259議席公明党169議席民主党は87議席と厳しい結果となった。

4月11日政府は、防衛大学校長・五百旗頭眞を議長に、建築家・安藤忠雄と東大教授・御厨貴を議長代理に、哲学者・梅原猛を特別顧問にして復興構想会議を設置した。だが、議長が第一回会合で復興財源として消費税引上げを示したことから、菅首相にやり方が稚拙で場当たり的であると批判が集中した。

他方で原発事故の賠償は国が交付国債で数兆円を準備し、東京電力が給与カットや人員削減等のリストラ策を検討することになったが、役員報酬の削減割合が低いことから多くの国民の反発を招くことになった。しかし、いつのまにか政府が東京電力を救済することは当然であるかのようなマスコミ論調が出始める。

5月6日菅は浜岡原発の原子炉をすべて運転停止すると発表した。その理由を東海地震が87%の確率で今後30年以内に起きることが想定されるとし、事故が起きた場合、東名高速道路東海道新幹線の運行に影響を及ぼし、日本経済が寸断されるとした。この判断は多くの国民に支持された。

5月20日、震災翌日に炉心内部の事態悪化につながる海水注入中断が、菅の意向によるものであることが判明した。当時、菅が海水注入した場合に再臨界の危険はないか原子力安全委員会委員長・班目春樹に確認したところ「あり得る」と返答したからで、これに対して班目は「侮辱であり、そのようなことは言っていない」と反論。事故から2ヵ月経っても意見の食い違いと混乱が続いていた。

深刻だったのは、同心円上で区切られた当初の避難基準とは裏腹に、放射性物質は北西方向に流れ30キロ以上離れた飯舘村など多くの地域で100万〜300万ベクレルも超える状況にあったことが明らかになった。

5月に入ると原発事故の対応や根回しをしない突然の発言などで、菅への批判は日毎に強くなり、自民党を中心に官への内閣不信任案提出が議論となってきた。様々な駆け引きがあったが、鳩山前首相が平野博文と共に菅や北沢防衛相と会談するなかで、不信任案には賛成しないことを決めた。

6月2日の民主党代議士会で菅は「一定の役割が果たせた段階で若い世代の皆さんに責任を引継いで戴きたい」と表明。この結果、民主党議員の多くは野党提案の不信任案に同調することをやめ、同日午後の衆院本会議では賛成152票、反対293票と否決された。尚、民主党では小沢一郎側近の松木謙公と、離党を表明していた横粂勝仁は賛成票を投じ、小沢は投票に欠席するという選択をした。

ひとたび不信任案が否決されると菅は、辞任は年明けになることを示唆した。菅の「一定の役割を果した時点」を「早期に退陣する」と解釈していたルーピー鳩山は、6月3日菅を「ペテン師」と批判。これに菅は「代議士会で発言した通りである」と反論した。鳩山の詰めの甘さが再認識される事件であった。


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