身分不相応な「大国主義」を選択

明治40年9月21日 日露戦争勝利の叙勲が行われ、伊藤博文山県有朋が公爵、旅順 要塞攻略で稚拙な攻撃で六万の死傷者を出した乃木希典は、二階級特進して伯爵とな
ります。

資源の全くない国力の貧弱な日本は、英米国から関税収入やタバコ専売益金を担保に 一億ポンド(十億円)超の借金をしました。それでも叙勲に浮かれた政府・軍首脳は、
身分不相応な大国主義・強国主義を選択するのである。

さらにそっくり譲り受けた満州の権益が、日本を否でも応でも帝国主義に導いてゆく。
守るということより拡張へと動いていくのである。

以上 半藤一利著「あの戦争と日本人」より

以下は余談となります。日露戦争に間にあわなかった明治38年採用の通称「サンパチ
銃」は、40年間に一千万挺も造りました。弾丸も腐るほど造りました。列強は機関銃
自動小銃となっても、日本の歩兵はこの三八銃で日中戦争はおろか太平洋戦争まで戦
ったのです。山県の作った貧乏陸軍は、兵器研究を怠り、質より量ばかりを求め、負けるべくして負けたのです。

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