相次ぐ「海軍汚職事件」

大正3年1月23日 シーメンスの東京支店社員リヒテルが、日本海軍高官に贈賄した
証拠書類を盗んで恐喝し、ドイツで懲役二年の判決を受けたことが報じられました。
海軍大佐沢崎寛猛・海軍機関少将藤井光五郎が軍法会議にかけられます。
沢崎の判決は懲役一年・藤井は懲役四年六月、追徴金360,8306円であった。

続いて弩級艦=巡洋戦艦「金剛」の建造で、英国のヴィッカース社から三井物産
仲介とする収賄事件も発覚し、次代の海相と目される呉鎮守府司令長官 松本和中将
三井物産重役 岩原謙三らも検挙・収監されます。
松本の判決は懲役三年、追徴金409,800円(現在の四億円超)でした。岩原は懲役二年
だったが控訴審で執行猶予となります。

これらは、昭和の首相 田中角栄が五億円を収賄したロッキード事件を想起させます。

貴族院の官僚派(山県閥)は、海軍偏重と海軍汚職を攻撃し、大正三年度予算案は不成
立となり、山本権兵衛内閣から大隈重信へ移ります。

以上は今井清一著「日本の歴史」第23巻から引用

明治39年12月26日の参謀本部の「国防大方針に関する意見」では仮想敵国をロシアと
したが、山本権兵衛は「陸主海従」を許しては、海軍の拡張を図れないと考え、アメ
リカを仮想敵国とすることに固執しました。この「省益優先」が、陸軍と海軍とが国
家戦略において、一致することなく分裂したまま太平洋戦争に突入したのである。

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