経済界のブダブルパンチとなった大震災

世界の好景気にもかかわらず日本だけが不景気であった大正初期の不況の原因は、日
露戦争で抱え込んだ莫大な外債と、戦後の国力を超えた軍備拡張にありました。

しかし世界大戦による需要の増大とアジア市場の独占によって、大戦バブル景気が生                                                                               じ重化学工業の飛躍的発展と財閥の産業支配が確立されます。しかも20年(大正9)には                                                                               二七億円もの対外債権国となるのだが、新たな債権の多くが不健全でした。

第四次日露協約によるロシアの戦費不足を補うための、大蔵省証券発行(三億円)はロ                                                                               シア帝国崩壊でデフォルトとなり、寺内内閣が実施し内外の批判を浴びた西原借款(一                                                                               億四五〇〇万円)など対中借款の多くが、不安定な大陸情勢で回収不能となりました。

世界大戦が終わり、欧州諸国の生産が回復するにつれ急拡大した日本産業の国際競争 力のなさが表面化します。20年(大正9)3月株式市場の大暴落を契機に、日本は不良債 権と失業者増大という深刻な構造問題を抱えることになりました。

この時の政府・日銀による個別企業への大規模な救済は、脆弱な金融機関の温存につ
ながり、後の金融恐慌の背景となります。

23年(大正12)9月1日の関東大震災は、大戦バブル崩壊後の不良債権処理に苦しむ金
融機関にとって、担保の大半が一瞬に消滅したばかりでなく、新たな不良債権の発生
となりました。

井上準之助蔵相は9月7日に支払猶予令を公布、27日には手形のニカ年の猶予期間を
おくと共に、一億円規模の日銀による再割引き(緊急勅令)を公布します。この震災手
形の整理は容易に進捗せず、昭和の金融恐慌の直接の原因となるのである。

以上 松元崇著 「大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清」より引用

世界の潮流は軍縮であり、陸軍の巨頭山県は前年2月病死しており、この時こそ首相                                                                               山本権兵衛は持論である専守防衛と植民地経営の断念を打出すべきではなかったか?これが真の一等国への道であり国家国民のためではなかったかと残念に思うのである。


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