侵略国家の再台頭とスペイン内戦

22年(大正11)以来ソ連共産党書記長に就任したスターリンは、社会主義社会建設を
唱えながら自らの権力集中に没頭。33年(昭和8)からスタートした第二次五ヵ年計画
で軍事部門に重点をおき工業国化をほぼ達成、スターリン独裁を確立します。

スターリンの反対派には反革命・スパイ容疑の名のもと、革命の功労者、赤軍の指導
者、一般庶民を大量処刑・強制収容所送りとします。36〜37年が粛清のピークで、犠
牲者は数百万人といわれ、まさに恐怖政治国家となります。

ドイツでは33年1月軍部・大資本家に支援されたヒトラー内閣が成立。3月共産党
ナチス勢力を弾圧しながら総選挙を行い第一党となり、全権委任法を成立させて議
会政治を廃止し、ナチス一党独裁を固めます。

同年10月ヒトラーヴェルサイユ条約の軍備制限を覆すため、国際連盟で軍備平等権
を主張するが否定され、日本に続いて脱退を宣言します。

世界恐慌はスペインをも混乱に陥れ、31年4月地方選挙で共和派が勝利。アルフォン
ソ13世は退位・亡命(スペイン革命)しかし政情不安定が続きます。36年2月総選挙で
人民戦線が圧勝。アサーニャ内閣が誕生し土地改革・教会の特権剥奪に着手します。
(この時期、日本では二・二六事件が起こっておりました)

36年7月人民戦線政府に反対する軍部・地主・教会に支持されたフランコ将軍はモロ
ッコで反乱を起し、ドイツ・イタリアはフランコを、ソ連と国際義勇軍は政府を援助
します。英・仏は戦火の拡大を恐れ不干渉政策をとります。ソ連は政府の主導権をと
ることに終始し共産党以外の政府軍を弾圧したことで政府軍は混乱・弱体化して敗退

二年八ヶ月にわたる内戦で両軍あわせて60万人が死亡、更にフランコによって政府側
10万人が処刑されました。彼は国家主席として独裁を強行。第二次大戦後も長らくそ
の地位を維持。義勇軍に従軍したヘミングウェイは「誰が為に鐘は鳴る」を著します。

フランコを支援したヒトラーは来るべき戦争では戦車・飛行機が中心になると考え、
爆撃の威力を確認するためにスペイン人をモルモットにしたのである。


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