近衛の内閣改造

38年(昭和13)3月17日大いに揉めた国家総動員法案が議会を通過します。審議の最中
陸軍省軍務局佐藤賢了中佐のダラダラした説明に政友会の宮脇長吉が野次を飛ばすと
「黙れ!」と一喝、翌日杉山陸相が謝罪します。法案に反対する政友・民政両党本部
右翼団体が占拠する事件も発生しました。

国民の圧倒的人気と裏腹に近衛首相はしばしば辞意を洩らします。特に杉山陸相に嫌
気がさしていました。議会終了後も辞意を表明したが周囲の慰留を受け内閣改造を決
意。近衛は徐州作戦に参加していた第五師団長板垣征四郎を陸相にと、天皇に上奏し
ます。近衛は板垣も石原莞爾と同じ戦線不拡大論者と思い込んでいたのです。

当時、陸軍省参謀本部の尻を叩き新たな漢口作戦・広東作戦を練っており、杉山と
陸軍次官梅津美治郎は、板垣では対支作戦が中止になると恐れ、内蒙古の占領により
良質なアへン産地を獲得した関東軍参謀長 東条英機を次官とします。

杉山は天皇に「次官には東条中将を据えたい」と上奏します。近衛首相が陸相を上奏
もしていないのに次官を先に天皇に伝えたのです。憲政の常道を無視した前代未聞の
申し出に、天皇は露骨に不満を表わしたという。

同年5月26日の内閣改造で、外相には杉山の言いなりだった広田から宇垣一成に、財
界からは池田成彬を蔵相兼商工相とし、文相には防共対策として荒木貞夫が就任。

6月3日板垣を陸相に、後日板垣は東条を陸軍次官に任命。梅津は第一軍司令官とし
て中国戦線に転出します。

軍事情報の集中する陸軍の中枢にいた陸軍次官梅津が、敢えてそのポストを捨てるこ
とでソ連のスパイという身分を隠蔽し、加えて陸軍強硬派の切り札 東条英機を後釜
に据える絶妙な禅譲に、只々驚愕するばかりである。


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