余りにも脆弱な日本の国力

盧溝橋事件が勃発した37年(昭和12)の軍事費支出は32億円(全歳出の29.2%)でした
が38年には59億円(33.3%)39年は64億円(52.9%)40年は79億円(50.9%)と急増。

歳入不足を政府は赤字公債で賄います。市中金融機関に引受けさせるが限度があり、
止むを得ず日銀に引受けさせます。これがインフレ昂進となりました。物価騰貴・物
資不足・闇物資・闇物価の横行など国民生活は極端に悪化していきます。

総動員体制下の軍需産業は、財閥その他の独占的大資本に膨大な利潤がもたらされま
す。造船業の生産は三菱重工業・三井・川崎・日産等にその80%が集中、電機工業
でも芝浦(東芝)・日立(日産系)・三菱電機等の支配が顕著となります。満州国産業部
次長岸信介は37年第一次五ヵ年計画を発足、38年日産と満州国の折半出資による満州
重工業開発(株)を設立、満州の統制強化・軍需工業化体制を築きます。

これに反し平和産業(繊維・食品等)は軍関係を除き冷遇され、増大する需要に間に合
わず、次第に闇取引が横行するようになります。中小企業者は法的強制のもと大企業
の下請け工場化され、加えて労働力不足に悩まされます。平和産業業者は統制と原材
料割当によって、倒産に追いやられたり合併・系列化の運命にさらされます。

召集によって農村の働き手は戦場に狩り出されます。37年の陸軍兵隊数は95万人、
41年には211万人に達し、米生産は衰退の一途を辿りやがて戦時体制を内から崩し
てゆくおおきな原因となるのである。以上林茂著「日本の歴史・第25巻」より

この膨大な国力の消耗はスターリンの戦略であると悟りながら、貧乏陸軍は中国の占
領地に第二の満州国建設を夢想するのである。

また、日本産業(日産)の鮎川義介の義弟は、政友会重鎮の久原房之助でともに長州出
身なのである。



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