欧州の天地は複雑怪奇

平沼内閣成立直後、ドイツは日本とイタリアに三国同盟案を提案。有田外相はソ連
り英仏を仮想敵国とするこの案に反対。陸軍はソ連も英仏も対象とする意向でした。
大島浩駐独大使・白鳥敏夫駐伊大使は日本政府の訓令を無視、陸軍側の意向を伝える
のです。米内海相閣議で「政府の訓令に従わない大使は召喚しろ」と強硬に主張。

天皇も39年(昭和14)4月11日板垣陸相が拝謁した時「出先の両大使が参戦の意を表し
たことは天皇大権を犯したもので、陸軍がこれを支援すること、閣議で逸脱せる発言
をなす如きも甚だ面白くない」とたしなめたという。

同年8月3日陸相参謀総長教育総監による三長官会議が開かれ、陸相辞任という
切札を切り倒閣を敢えてしてでも陸軍の新提案を認めさせることに決定。しかし8日
の五相会議では海軍側が強硬に反対します。米内海相山本五十六次官・井上成美軍
務局長トリオによる下僚統制がとれていたのです。

右翼団体海軍省に押しかけ関係者の面会を強要したり脅迫状が投げ込まれます。横
須賀鎮守府から一個小隊を海軍省に派遣、兵器・弾薬・食糧を山積みして警戒します。

39年5月成立したベルリン-ローマ枢軸(鋼鉄同盟)の膨張政策に英国チェンバレンは、
英ソ条約交渉を進展させます。がスターリンヒトラーの敵意と大戦争への参加は欲
しません。英国の動きにつられヒトラースターリンにラブコールを送り続けます。

39年8月21日深夜、大島はリッベントロップから電話で、23日独ソ不可侵条約がモス
クワで締結されることを知らされます。これは明白な日独伊防共協定の秘密協定第二
条違反であり、日本陸軍への敵対行為でもある。

平沼首相は「欧州の天地は複雑怪奇」と言って総辞職します。大島は駐独大使の辞表
を提出し、帰国後は浪人生活に入ります。

独軍ポーランド国境にどんどん集結しているという情報は新聞報道されており、ソ
連がどう出るか大問題でした。しっかり見据えていればこの事態は予想し得た。政府
や軍首脳の「見れども見えず」は情けない限りです。----半藤一利



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