とどまるを知らないヒトラー

33年(昭和8)10月ヒトラー国際連盟で、軍備平等権を主張。否定されて脱退宣言。
しかし陸軍兵力10万という制限無視の再軍備はこの年から秘かに行われていました。

34年8月大統領ヒンデンブルクの死で、大統領制を廃してヒトラーが総統(大統領・
首相・党首)に就任。35年1月住民投票によって帰属を決めたザールを併合します。

35年3月ヒトラー再軍備宣言を発し、義務兵役制復活や空軍編成を行います。驚い
た英・仏・伊は4月独の膨張阻止を目的にストレーザ戦線を組織。独と接する仏は5
月仏ソ相互援助条約を、英国は6月ヴェルサイユ条約を無視して英独海軍協定を締結。

36年3月ヒトラーは仏ソ相互援助条約締結を理由にヴェルサイユロカルノ両条約を
破棄して、永久非武装地帯ラインラント進駐を強行。6月空爆の威力を実験する目的
を持ってスペイン内戦に参戦。10月共に戦ったイタリアとベルリン・ローマ枢軸成立。
37年11月日独伊防共協定が締結され、イタリアは同年12月国際連盟を脱退。

38年3月ヒトラーは英・仏・ハンガリーの反対を排しオーストリアナチスを使って
墺国内を内乱状態にし、独軍隊を侵入させ併合を強行。同時にチェコスロヴァキア
ズデーテン併合を強圧的に要求。チェコスロヴァキアは英・仏との協約に頼って拒否。

38年9月戦争危機の回避に向け英・仏・独・伊四ヵ国首脳によるミュンヘン会談が行
われ、ヒトラーからこれ以上の領土要求はしないとの約束を得て、独の要求を承認。

英仏の対独宥和政策は、出席を認められなかった当事国チェコスロヴァキアソ連
深い不信感を抱かせました。

ヒトラーミュンヘン会談の約束を反故にし、39年3月ポーランド回廊の割譲を強硬
に要求。更にチェコスロヴァキア全土を事実上占領下におき、ベーメンとメーレンは
併合し、東部のスロヴァキア地方を保護国化してしまいます。


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