ドイツ・ソ連がポーランドを挟撃=第二次世界大戦へ

39年(昭和14)3月31日英首相チェンバレンは下院で演説します。「何らかの行動がポ
ーランドの独立を脅かした場合、我国はポーランド政府にあらゆる支持を与える」仏
政府もヒトラーポーランドに手を出せばフランスは起つと宣言します。

極秘裏に交渉を進めていた独ソは同年8月23日独ソ不可侵条約を締結。世界に大衝撃
を与えます。この条約には重大な秘密協定が隠されていました。それはバルト諸国領
土の独ソ勢力圏の境界線と、ポーランド分割の独ソ境界線を決めたものでした。

8月25日英仏は3月の保障条約を強化する英仏・ポーランド相互援助条約を締結。20
分後に知ったヒトラーは8月26日早朝に予定されていたポーランド進攻作戦を延期。

39年9月1日午前4時45分150万の独軍部隊と2,000機の飛行隊が一挙にポーランド
廊に侵入。9月3日英仏はドイツに宣戦布告し第二次世界大戦が開始されます。

9月17日スターリンも牙をむき出しポーランドの東から侵入を開始。20年に失った西
ウクライナ白ロシアを占領。9〜10月バルト三国にそれぞれ相互援助条約を強要し
占領。40年8月正式に併合。

39年11月ソ連フィンランドに領土交換要求、拒否されたソ連は侵略開始。12月フィ
ンランドの訴えで国際連盟ソ連を侵略国として除名。ソ連はカレリア地方を奪取。

40年4月独軍は中立国デンマークノルウェーを占領。5月永世中立規約を破りオラ
ンダ・ベルギーに侵入。5〜6月英仏軍30万はダンケルク独軍に包囲されるが奇蹟
的に海路脱出。6月14日独軍はパリを占領、無血入城します。

40年6月ソ連独軍西部戦線に専念している間、ルーマニアの石油資源地帯を侵略。ヒトラーは、スターリンフィンランドルーマニア進出に危機感を深め、41年3月
ユーゴスラヴィアギリシアを侵略。こうして独ソ間のバルカンでの対立が激化します。

40年春14,500人もの捕虜になったポーランド軍の将校・士官候補生・下士官が処刑さ
れ、カチンその他のソ連各地に集団で埋葬された。後にモスクワはナチスの仕業だと
非難したが、この大殺戮がスターリンとNKVDの所業であるのは明白なのである。


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