中国共産軍(八路軍)のゲリラ戦法

日本陸軍が中国大陸で「点と線」を占領したところで周りは総て敵である。広大にな
った占領地の治安確保に掃蕩作戦を繰返さねばなりませんでした。

しかし共産軍は徹底した逃げの戦術をとります。第十八集団軍総司令官朱徳が発案し
た三原則は「敵進我退」「敵駐我騒」「敵退我追」で、加えて「空室清野」=家を空
にして食糧を隠す 「両平三空」=人・飲物・食物を隠すを民衆に徹底しました。

1812年ボロディノの戦で勝利したナポレオンがモスクワ占領に成功するも、ロシア軍
焦土作戦に遭遇、食料不足で敗退した史実を朱徳は実践したのである。

日本陸軍は自暴自棄にも似た中国人への三光作戦(焼きつくし殺しつくし奪いつくす)
が続き、従軍した兵士達には、今なお心の傷としてその苦しみが残り、どれだけ時間
が経過しても癒されることはない。

蒋介石が合同軍事会議で共産軍の将軍に「八路軍は遊んでばかりいて撃たないという、
延安には一人の負傷者もいないというが本当か」と噛みついたという。

その後の歴史の経過を見ると、蒋介石は結局、共産党の統一戦線方式の図式通り共産
党に廂を貸して母屋を取られ、大陸から追い落されてしまいます。

日本陸軍の戦線拡大は大きな誤りであったが、前線の兵士はそれには無関係に任務を
遂行するだけである。日本の兵士一人一人が国のために自己犠牲を払うという純粋な
気持で生命を捨てました。その戦士たちの霊に対しては、今なお尊敬と哀悼の意を表すべきであろう。----岡崎久彦


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