ソ連スパイ ゾルゲの略歴

41年(昭和16)7月2日大本営陸軍部は関東軍特別演習(関特演)の実施を認めます。85
万の兵員と膨大な武器・資材を朝鮮・満州に動員する演習でした。元大本営参謀瀬島
龍三の「北方戦備」によればソ満国境のソ連軍が半減した時には日本軍は攻撃を開始
する予定でした。がソ連兵力の減員がなかったため関特演は訓練のみに終始します。

ソ連軍は日本軍と違って、鉄の規律でスターリンの方針を守ります。スターリンはゾ
ルゲの諜報活動によって、高度な日本の政治情報が入手できていました。日本での諜
報期間七年に及ぶゾルゲは41年10月18日麻布区永坂町で逮捕、44年11月7日死刑執行されます。

1895年ゾルゲはドイツ人の父とロシア人の母との間に、カスピ海西岸、現在のアゼル
バイジャンで誕生します。3歳の時一家はベルリンに移住。志願して第一次大戦に従
軍23歳で除隊するまで三度負傷。ハンブルク大学卒業後ドイツ共産党入党。25年ソ
共産党入党。赤軍第四本部に移り30年上海入り朝日新聞特派員尾崎秀美と知り合う。

33年モスクワに戻り日本派遣決定。新聞・雑誌の通信員の資格を取得して34年来日。
フランクフルタ―=ツァイツング紙特派員・ナチス党員を偽装してオット駐日独大使
の信任を得、大使の私設情報官となり、尾崎秀美らの協力で対日情報グループを組織。

36年11月首相の座に引き出されることを覚悟した近衛文麿は、政策を用意しブレーン
を集めるための昭和研究会を発足。37年4月中国観を高く評価された尾崎秀美も加わ
り、彼は昭和研究会・第一次近衛内閣・満鉄東京支社調査室等の嘱託を歴任します。

ゾルゲは64年11月ソ連最高会議幹部会から「ソ連邦英雄」の称号を贈られ、今も賞状
と勲章が赤軍博物館に展示されています。


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