マリアナ沖海戦

マーシャル諸島に続いてマリアナ諸島サイパンテニアン・グアムが狙われるのは
必至であった。44年(昭和19)5月3日連合艦隊司令長官に親補された豊田副武大将の
構想は、給油条件の悪化から決戦場を待機地点に近いパラオ付近とし、陸軍の航空部
隊が迎撃し敵を引き込んで叩くという作戦でした。「あ」号作戦である。

5月27日米軍はパラオを南から攻略するかのように西ニューギニア北岸のビアク島に
上陸。豊田は陸軍との約束を破って、急遽陸上航空力の半分を投入してその大半を失
います。これは戦って敗れたのではなく、マラリア赤痢に苦しむ搭乗員の未熟・設
備不十分の基地のために自壊したのである。

この陽動作戦を見届けた米海軍は、空母15を含む775隻をもって6月6日マーシ
ャル諸島を出発、6月11日以降サイパンその他の航空基地に多大な損害を与えます。
サイパンに急行した第一機動艦隊(小沢治三郎中将)は6月19・20日の海戦で、395
機、空母3隻を失い、4空母中小破という壊滅的打撃を受けます。

19日の海戦に出撃した日本の飛行機330機の内コースを外れて米空母発見ができな
かったものが130機もあり、残りは米空母の2百キロ手前で戦闘機群に待ち伏せ
れ大半が撃ち落とされ、それをかいくぐった日本機は百キロ手前で米戦艦群に待ち伏
せされ殆どが撃墜され、米軍に「マリアナ七面鳥射ち」と俗称される結果となった。

待ち伏せされた理由は、完成間もないレーダーと戦闘情報センターから電話で直接指
示を与えるシステムを備えていたことであり、戦艦群の対空砲火で多くが撃墜された
のはVT信管という、飛行機に命中しなくても近接して熱を感知し、爆発してその破
片で破壊する戦法を取り入れていたことでした。--この戦力差には只々驚愕あるのみ

米海軍がマーシャル諸島を出発した6月6日は、ヨーロッパ連合軍のノルマンディ上
陸と奇しくも同じで、日本だけでなくドイツ敗戦も旦夕に迫っていたのである。


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